日本の右翼と歴史歪曲
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2001/03/02 13:16 投稿番号: [1644 / 35788]
最近、日本はまた歴史教科書の歪曲問題で隣国との摩擦を招来した。あまりにも頻繁に起きることなので、もう驚くこともないほど慣れている。歪曲の後ろには右翼があるとよく言われているが、日本の右翼は一体どんなもの達か?彼らがは、武力による国家膨張主義を計画、実行した戦犯なので法的にせよ人道的にせよ許せない犯人たちである。かれはを日本という国は英雄待遇をしている。この事実だけでも日本は全世界の自由主義に反抗している反逆者である。日本の右翼というものたちはその子孫ないし追従者として破廉恥漢なのだ。この犯人たちは厳密にいえば、右翼と呼ばれる資格もない。
右翼とは共産主義を否定、資本主義を信じる側だけど、日本の右翼はただ戦犯の後裔として過去の光栄をもう一度夢見ていて、右翼の美名の下、軍事大国主義を志向している地球のヤクジャーに過ぎない。正確にいえば、軍事侵略主義者である。このものたちが主導している国、日本。彼らにとっては自分の過去侵略史を侵略史として受取るのが辛く、恥ずかしいことだ。侵略を進出と直さないと気が済まない。自分の行為を正当化するには加害者の自分が正しいので被害者がバカにならなきゃならない。
日本人の歴史認識は何だろう。ただ、都合によりいつでも履き替える首飾りなのだ。なので、事実なんかはどうでもいいのだ。歪曲した歴史を批難する隣国を内政干渉云々する日本。被害を受けていまでも苦労している女に‘泣くな!俺が要求したんじゃなく、お前は自ら開いたのだ!’というのと同じことだ。‘日本は民主主義なんで検定教科書はどう書いても自由だし、自由に書けないお前がバカだ’というのも弁明ないし無理押しにすぎない。自由とは周りの人はどうされても俺がやりたいことをするのでない。自由は責任がいつも付いてくるのだ。責任を取れない自由は自由じゃなく、放縦なので結局あの自由を拘束されるしかない。
日本が民主主義云々も可笑しい話だ。2000年歴史で民主主義がいつから咲き始めたのか。一般人に自由が一回でも与えられたとこがあったか?日本の一般人はゴミ扱いをされただけなんだ。それに比べて韓国の民衆平等精神のルーツは深い。‘王族が天から降りたのか?誰でも時によりなれるのだ’と叫んで当時の支配層に反抗し、乱を起こした高麗時代の民草たちの乱は‘人間平等精神に基盤をおいた民主主義の発露だった。朝鮮時代にも民を中心とした民本政治が王の統治理念だった。王の横暴を防ぐため、三司制度(司憲府、司諫院、弘文館)を置いて、王の間違いに命をかけて叱った。また、新聞鼓を設置、国民が直接、王に自分の無実さを知らせ、問題の解決を求した。各地方の官吏の横暴と腐敗を調べるため、潜行御使制度で国民の苦労さを調べ直していた。
それに比べ、日本の歴史上、民乱って聴いたことがない。終戦後、アメリカにより強制に導入した西洋式の民主制度があるだけだ。それも右翼のための自由、右翼だけの民主主義がある。つまり、右翼に賛成する自由はあるが、反対する自由はない。反対すればすぐ、右翼の物理的攻撃の目標になる。これが民主主義か?
検定制度自体が民主主義を証明するわけにはいかない。逆に、歪曲した歴史を検定、承認する制度こそ日本は民主主義国家でないのを証明するだけだ。隣国をはじめ、世界の自由を愛している国は日本の右傾化を憂慮の目で見ている。歴史歪曲は結局、反省してないことを見せるだけでもう一度犯罪を起こす蓋然性を含んでいるからだ。国粋主義の標本が日本って国であるのを歴史的によく証明しているから。
‘人がやったことなので俺がやっても罪にならないのだ’って認識こそ日本が真剣に国際社会の一員としての資格があうかどうか疑われる部分である。赤信号灯でもみんなが横断したら大丈夫よみたいな感覚で国際社会に出るのは、まるでなにも知らない田舎ものが町にでて交通事故を当たるような危険がおいてあるからだ。
右翼とは共産主義を否定、資本主義を信じる側だけど、日本の右翼はただ戦犯の後裔として過去の光栄をもう一度夢見ていて、右翼の美名の下、軍事大国主義を志向している地球のヤクジャーに過ぎない。正確にいえば、軍事侵略主義者である。このものたちが主導している国、日本。彼らにとっては自分の過去侵略史を侵略史として受取るのが辛く、恥ずかしいことだ。侵略を進出と直さないと気が済まない。自分の行為を正当化するには加害者の自分が正しいので被害者がバカにならなきゃならない。
日本人の歴史認識は何だろう。ただ、都合によりいつでも履き替える首飾りなのだ。なので、事実なんかはどうでもいいのだ。歪曲した歴史を批難する隣国を内政干渉云々する日本。被害を受けていまでも苦労している女に‘泣くな!俺が要求したんじゃなく、お前は自ら開いたのだ!’というのと同じことだ。‘日本は民主主義なんで検定教科書はどう書いても自由だし、自由に書けないお前がバカだ’というのも弁明ないし無理押しにすぎない。自由とは周りの人はどうされても俺がやりたいことをするのでない。自由は責任がいつも付いてくるのだ。責任を取れない自由は自由じゃなく、放縦なので結局あの自由を拘束されるしかない。
日本が民主主義云々も可笑しい話だ。2000年歴史で民主主義がいつから咲き始めたのか。一般人に自由が一回でも与えられたとこがあったか?日本の一般人はゴミ扱いをされただけなんだ。それに比べて韓国の民衆平等精神のルーツは深い。‘王族が天から降りたのか?誰でも時によりなれるのだ’と叫んで当時の支配層に反抗し、乱を起こした高麗時代の民草たちの乱は‘人間平等精神に基盤をおいた民主主義の発露だった。朝鮮時代にも民を中心とした民本政治が王の統治理念だった。王の横暴を防ぐため、三司制度(司憲府、司諫院、弘文館)を置いて、王の間違いに命をかけて叱った。また、新聞鼓を設置、国民が直接、王に自分の無実さを知らせ、問題の解決を求した。各地方の官吏の横暴と腐敗を調べるため、潜行御使制度で国民の苦労さを調べ直していた。
それに比べ、日本の歴史上、民乱って聴いたことがない。終戦後、アメリカにより強制に導入した西洋式の民主制度があるだけだ。それも右翼のための自由、右翼だけの民主主義がある。つまり、右翼に賛成する自由はあるが、反対する自由はない。反対すればすぐ、右翼の物理的攻撃の目標になる。これが民主主義か?
検定制度自体が民主主義を証明するわけにはいかない。逆に、歪曲した歴史を検定、承認する制度こそ日本は民主主義国家でないのを証明するだけだ。隣国をはじめ、世界の自由を愛している国は日本の右傾化を憂慮の目で見ている。歴史歪曲は結局、反省してないことを見せるだけでもう一度犯罪を起こす蓋然性を含んでいるからだ。国粋主義の標本が日本って国であるのを歴史的によく証明しているから。
‘人がやったことなので俺がやっても罪にならないのだ’って認識こそ日本が真剣に国際社会の一員としての資格があうかどうか疑われる部分である。赤信号灯でもみんなが横断したら大丈夫よみたいな感覚で国際社会に出るのは、まるでなにも知らない田舎ものが町にでて交通事故を当たるような危険がおいてあるからだ。
これは メッセージ 1629 (bosintang さん)への返信です.