私は降りますが、最後に
投稿者: tihaya3 投稿日時: 2001/03/02 06:11 投稿番号: [1625 / 35788]
BrandeburgerTorGさん、こんにちは。
では最後に貴方へのコメントを入れておきます。参考にしてください。
あなたは結局このように言いたいのですかね。
「明治維新は革命を行って、廃藩置県を断行し、科挙の制度を設けて士大夫を登用し、これらを地方長官に命じて、各県を統治させ、韓国のように国自体を儒教体制化しようとした」
徳川幕府は自らの築いた幕藩体制を壊し、改革するつもりはありませんから、徳川の時代がそのまま続いたら、韓国のような儒教体制にはならなかったでしょう。ということは維新を改革した指導者が自らの革命をどのように捉えていたかを提示したら、納得出来るかな。
朱子学は孔子にあった自由度がなくなり、リゴリズムとでも言う徹底した原則主義原理主義であったと思いますが、そのなかの原理主義形式主義をよく保持していたのは李朝朝鮮王朝であったと思います。これはあなたも認めていると思う。では明治維新をやった人間の認識はどうであったかですね。
大物で言うと貴族側で岩倉具視がいます。大久保は真っ先に欧化主義への変換をいいましたし、どなたかが提示してくれましたから、詳しくは書きません。
朱子学の原理原則主義や形式主義から見ると、欧化など唾棄すべき事でしょう。朝鮮王朝が日本の欧化主義に対して徹底して反対したというのは、原理原則を捨てる信用ならない人種であるという意味の非難が朝鮮側から出ています。
このこと自体は、原理原則を法と読み替えると、人治社会から法治社会への窓口になりうる可性があり、決して非難すべき事ではないと思います。でも政治は結果であり、結果が悪ければどうしようもないとも言えます。私のようなプラグマティックな目的を持って行動し、実際は現実から乖離しない態度を是とする人間から見ると、どうかと思いますが。
岩倉具視が「議会設立の建白書」だったかな、そこで書いてある事が彼の革命への反省が出ていて興味深いです。詳しく引用しませんが、彼は「維新の大業は皆の総意でやったのだ」と述べています。天の意志=皆の相違と読みかえれば、より儒教的なんでしょうけど。天皇は若くて役に立たなかったとも述べています。そして本来は尊皇攘夷をするために、志士たちが血を流したが、結果で言うとその逆の欧化主義になってしまったとも。これでは徳川幕府の方がまだましだったと述べています。先に朝廷が攘夷を言ったのは幕府を倒すための方便であって、実際は幕府の方が勝っているのだから、この矛盾を感じて世論が動揺するのは、これは朝廷の罪であると。
朱子学から発生した尊皇攘夷論ですが、彼は明確に当初の朱子学から発生した目的を達成しえなかったという意味の話をしています。
もう一人西郷隆盛ですが、彼は欧州を巡回しなかったメンバーですが、彼の理想主義は復古で、見た目は幕府が現れる前の律令体制に変えることを望んでいたような気がします。彼が故郷に帰ってやったことは、「班田収授法」の理想化です。彼は「死んだ人に申し訳ない。こんな欧化主義の政府を作るのことなど、全然考えていなかった」と述べています。
ということで、明治維新が儒教体制化を目指したという議論は、これらの指導者の敗北感からも言えると思います。重ねますが、そのように判断した理由は他にもありますし、理由の大きなものは他の方も、また私も述べました。結局影響があったという感想、主観はそれであなたが精神安定するなら、いいですが、議論としてはどうかと千早は思います。
では最後に貴方へのコメントを入れておきます。参考にしてください。
あなたは結局このように言いたいのですかね。
「明治維新は革命を行って、廃藩置県を断行し、科挙の制度を設けて士大夫を登用し、これらを地方長官に命じて、各県を統治させ、韓国のように国自体を儒教体制化しようとした」
徳川幕府は自らの築いた幕藩体制を壊し、改革するつもりはありませんから、徳川の時代がそのまま続いたら、韓国のような儒教体制にはならなかったでしょう。ということは維新を改革した指導者が自らの革命をどのように捉えていたかを提示したら、納得出来るかな。
朱子学は孔子にあった自由度がなくなり、リゴリズムとでも言う徹底した原則主義原理主義であったと思いますが、そのなかの原理主義形式主義をよく保持していたのは李朝朝鮮王朝であったと思います。これはあなたも認めていると思う。では明治維新をやった人間の認識はどうであったかですね。
大物で言うと貴族側で岩倉具視がいます。大久保は真っ先に欧化主義への変換をいいましたし、どなたかが提示してくれましたから、詳しくは書きません。
朱子学の原理原則主義や形式主義から見ると、欧化など唾棄すべき事でしょう。朝鮮王朝が日本の欧化主義に対して徹底して反対したというのは、原理原則を捨てる信用ならない人種であるという意味の非難が朝鮮側から出ています。
このこと自体は、原理原則を法と読み替えると、人治社会から法治社会への窓口になりうる可性があり、決して非難すべき事ではないと思います。でも政治は結果であり、結果が悪ければどうしようもないとも言えます。私のようなプラグマティックな目的を持って行動し、実際は現実から乖離しない態度を是とする人間から見ると、どうかと思いますが。
岩倉具視が「議会設立の建白書」だったかな、そこで書いてある事が彼の革命への反省が出ていて興味深いです。詳しく引用しませんが、彼は「維新の大業は皆の総意でやったのだ」と述べています。天の意志=皆の相違と読みかえれば、より儒教的なんでしょうけど。天皇は若くて役に立たなかったとも述べています。そして本来は尊皇攘夷をするために、志士たちが血を流したが、結果で言うとその逆の欧化主義になってしまったとも。これでは徳川幕府の方がまだましだったと述べています。先に朝廷が攘夷を言ったのは幕府を倒すための方便であって、実際は幕府の方が勝っているのだから、この矛盾を感じて世論が動揺するのは、これは朝廷の罪であると。
朱子学から発生した尊皇攘夷論ですが、彼は明確に当初の朱子学から発生した目的を達成しえなかったという意味の話をしています。
もう一人西郷隆盛ですが、彼は欧州を巡回しなかったメンバーですが、彼の理想主義は復古で、見た目は幕府が現れる前の律令体制に変えることを望んでいたような気がします。彼が故郷に帰ってやったことは、「班田収授法」の理想化です。彼は「死んだ人に申し訳ない。こんな欧化主義の政府を作るのことなど、全然考えていなかった」と述べています。
ということで、明治維新が儒教体制化を目指したという議論は、これらの指導者の敗北感からも言えると思います。重ねますが、そのように判断した理由は他にもありますし、理由の大きなものは他の方も、また私も述べました。結局影響があったという感想、主観はそれであなたが精神安定するなら、いいですが、議論としてはどうかと千早は思います。
これは メッセージ 1503 (BrandenburgerTor_G さん)への返信です.