戦時下の教育
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/01/01 15:59 投稿番号: [14637 / 35788]
Kmechanさん、あけましておめでとう。
>義務教育ではなかったので、学費も払わねばならず
「最初から選ばれた人間しか入学が許可されなかった。」
別に日本が適格者を選抜したわけではありませんね。
村に学校がなかったり、学費が払えなかった家庭で通わせることができなかっただけ。当局としては通ってほしかったでしょう。
実際、日本は朝鮮における初等教育(国民学校)の義務教育化を46年に計画していました。
光復後、韓国が国民学校の義務教育化(無償化)を達成したのは、59年です。中学校の義務教育化(無償化)は現在も行われておらず、今年つまり2002学年度に実施される予定です。
>「ほとんど男子のみで、女子は通うことが
難しかった(親が男だけ将来を考え通学させた)」
朝鮮時代の書堂には男子だけしか入れなかったのは知ってますよね。
呉天錫は『韓国近代教育史』のなかで、1935年から43年まで8年間の教育政策について、初等学校数、収容児童数の顕著な増加とともに、女子児童数の激増を、「注目すべきこと」として挙げています。1936年当時女子児童数は男子の4分の1にすぎなかったのに、43年には2分の1になったそうです。
>「私は朝鮮の普通学校と日本の国民学校両方で勉強した経験がありますから其の違いを良く知っています。
正直いって、日本の学校に入る前はこんなに自由があるとは思いませんでした。
普通学校では、毎日軍事教練みたいなことや誓詞朗唱をさせられましたが、日本の学校ではそんなことはありませでした。」
「在日としてのコリアン」原尻英樹著、講談社現代新書
朝鮮の学校制度は1938年までは、日本人は小学校、朝鮮人は普通学校に通いました。38年に、普通学校と小学校の区別がなくなり名称も小学校に統一、43年にさらに国民学校と改称されました。また皇国臣民の誓詞は37年に総督府が制定したものです。
その本は私ももってますが、証言の主は、本の執筆時点である98年に69歳とのことですから、1929年生まれで37年ごろに普通学校または小学校に通い、その後、内地に渡って日本の学校に通ったと思われます。
日本の学校で「誓詞朗唱」がなかったのは当然ですね。あれは植民地専用でしたから。そのかわり、教育勅語朗唱があったはずです。
37年以降は、内地も半島も戦時体制。この間の教育内容は相当に歪んでいました。しかし、その8年間に日本が行った悪行によって、朝鮮統治35年全体を評価することはできないと思います。
これは メッセージ 14636 (Kmechan さん)への返信です.
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