民族
投稿者: takeru50004 投稿日時: 2001/12/27 12:34 投稿番号: [14486 / 35788]
えーっとまず最初に柄谷の論旨を説明しときます
中世ヨーロッパでは、知識人といったらラテン語が必須のものだった
知識人はラテン語で読み、ラテン語を書いていた
ラテン語というものが国際語であったわけです
ところがダンテは神曲をイタリアの方言で書いた
それがイタリア人に共有されて、イタリア語になった
また、ルターが聖書をドイツ語に訳してそれが後のドイツ語になった
ふつう民族はその民族に固有の言語を喋るとおもわれてるけれども、それは違う
たとえば昔イギリスでは貴族はフランス語を喋っていたわけで、英語は農民の言葉だったわけです
ドストエフスキー読んでると、登場人物がいきなりフランス語を喋りだしたりして、面食らうんだけれども、他の国、たとえばプロイセンなんかでも宮廷はフランス語を喋っていた時代があったわけです
柄谷が言ってるのは、文学(とりわけ口語体の)をある集団が共有することによって、民族が生まれるということです
柄谷によれば、明治の口語体文学(最初口語体で小説を書いたのは江戸っ子だけだった)を日本人が共有することによって、日本という国が生まれた(これは強引すぎると自分は思うんだけれども)
>17−8世紀になるとハングル文学が花咲く
その文学的業績がどれほどすごいものかは自分はわからないんだけれども、要点はそれが人々に共有されていたのかってことです
朝鮮じゃハングルは知識人にバカにされていたわけでしょ?
それにもう一ついえることは日本で漢文は日本語化されて読んでいた
そうした漢文の自国語化をしなかった朝鮮では、より一層中国への傾斜が激しかっただろう
日本でも儒者のなかには「何故自分はシナ人に生まれなかったんだろう」と言って嘆いている例もあるくらいですからね
柄谷の要略はちょっと正確じゃないかもしれないけど、自分で読んで確認しといてください
これは メッセージ 14455 (bakajaps さん)への返信です.
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