それは違う
投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/08/28 04:05 投稿番号: [12081 / 35788]
>「まず合邦を打診したのは朝鮮側だった。総理大臣の李完用(イ・ワンヨン)の側近である、新小説『血の涙』で知られる李人稙(イ・インジック) が密使として動いたのだ。」
朝鮮から合併の打診などしていない。
合併論がでてきたのは大韓皇帝の密使事件
が大きな原因である
伊藤博文は朝鮮人の国を思う日本に対する抵抗を考え朝鮮を保護国にして法律を整備し近代国家の朝鮮を建国しようとした。
1907年7月14日対外強硬派の衆議院議員河野広中・小川平吉と国家主義団体頭山満らが政府に建白書を提出「現皇帝である高宗に主権を日本に、禅定させ両国が合併する」
新聞・雑誌も対韓強硬処置を説く論説や伊藤の軟弱政策の責任を問う意見であふれた
又義兵闘争の激化から保護国経営は甘いという声が出初め
合併の機会を窺っていた元老山県有朋・桂首相・小村外相らによって合併が進められるのだ。
このような日本の情勢をみて親日派団体一進会が国家主義団体国竜会主幹内田良平を顧問にむかえ対等合併を模索するのです。
つまり日本側において合併の動きが出た結果それに乗ろうとした朝鮮人の動きなのです。
決して朝鮮側から言い出したわけではない。
李完用(イ・ワンヨン)は皇帝の側近が保護条約に抗議して憤死したり、義兵闘争に身を投じる中日本に協力して自己の保存に努めただけの人物であり、朝鮮人に売国奴と評価されるのは当然である。
天皇は伯爵に列している。
かれら売国奴がいなければ併合ができなかったのも事実である
後に彼の墓は子孫により売却されている。
これは メッセージ 12075 (Baka_Chons さん)への返信です.
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