任那日本府についての教科書記述
投稿者: kotakyara 投稿日時: 2002/09/24 15:04 投稿番号: [86608 / 203793]
タイきんが何を言ってるのか、私には理解できないのですが、任那日本府についての記述のようですので文部科学省検定の合格教科書記述について。
申請時
「大和朝廷は、半島南部の任那(加羅)という地に勢力圏を占めた。後の日本の歴史書で、ここに書かれたわが国の拠点は、任那日本府とよばれた」
昨年
「大和朝廷は、半島南部の任那(加羅)という地に拠点を築いたと考えられる」
本年
「大和朝廷は、半島南部の任那(加羅)に勢力を伸ばしたと考えられる」
韓国の修正要求によりここまで譲歩しています。。
>日本の場合は、学説が一本化できないものは教科書にすら「有ったかもしれない」程度の記述しかのせません。
この通りに考えると申請時の記述に偽りはないと思うのですが、
順次「軍事的征服による支配機構」を感じさせるものを否定したいとする韓国の意向が強く反映されています。
それはそうと、駄々っ子の言葉に素直に従う親の姿勢をどう思いますか?
以下はコピペですが任那についての記述がなされている文献は以下の通り。
「日本書紀」任那の宮家滅す。400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げた。
「広開土王碑」新羅の救援要請を受けた高句麗軍が新羅の領内王都に進入していた倭軍を追い払い任那加羅まで追撃。
倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にした。
「真鏡大師宝月凌空塔碑(朝鮮の寺の碑)」に太師はその先祖は、任那の王族で・・。
「宋書倭国伝」都督、倭、新羅、任那、加羅・・緒軍事、安東将軍。5世紀後半に倭国に新羅・任那などの軍事権を認
めた叙任がある。
「三国史記」文才のある強首が新羅の武烈王に問われて、 私は任那加羅人ですと答えている。倭国の軍事的強大さには
数多く言及してる。好太王碑文の時代に、百済が皇太子を新羅が王子を倭国に人質に出したと明記。新羅の第四代・
脱解尼師今に至っては、倭国の東北千里の多婆那国(丹波説が有力)生まれと明記。
「南斉書、加羅国傳」加羅、任那は昔新羅が滅ぼした。
「通典」に南斉書と同じ、表現がある。
「魏志倭人伝」狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする。
これは メッセージ 86592 (minato232 さん)への返信です.
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