なぜ韓国人は、嫌われるのか?

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>> サンキュ

投稿者: kamisanga3 投稿日時: 2002/09/11 00:12 投稿番号: [82550 / 203793]
>確かにね。幕府はそれだけの財力は持っていたから。500人を受け入れる財源はあったんでしょう。ところが、大名の巨大化を恐れた幕府は朝鮮通信使にかかる費用も地方の大名に負わせたようだよ。参勤交代を思い出した幕府の事だから、、なんとなく納得。

いや、結構きつかったみたいよ。

以下、負担金を免れた地区の話

⑥高月町と朝鮮通信使

朝鮮通信使の一行は、高月町の約20km南を通る中山道を往来しました。
珍しい異国文化に触れようと、当地からもたくさんの人達が沿道まで見物に行ったことでしょう。
通信使の直接の経路から離れる高月町ですが、町内には通信使に関連する資料がいくつか残されています。
その多くは通信使の来日にかかる出費増にともない幕府・大名など領主から村々に課せられた、いわゆる臨時徴税と出役(助郷)に関わる古文書です。
町内森本・柏原・片山区などで確認することができます。
柏原区の文書によると、幕府領だった明和元年(1764)、この村には「朝鮮人来朝御入用人馬貸御国役」として金15両2歩と銀5匁1分7厘2毛(高百石につき金1両2歩)、「江州大津宿御賄所下行渡鶏役」として銀70匁7分9厘が課せられたことがわかります。
森本村は彦根藩からの通信使来日にともなう諸役の要請に対し、最終回の文化五年(1808)第12次通信使の時以外はこれを免除されました。
かつて湖北地方を領した豊臣秀吉がこの村に発給した判物(花押のある文書)によるものです。
秀吉の判物によって長期間にわたって諸役免除の恩恵を被った森本村の人々は、地元の氏神森本神社境内に豊国神社を勧請して太閤像を祀り、永くその恩に感謝しました。
また井口区には、寛延元年(1748)第10次朝鮮通信使来日の際、膳所藩の命により接伴役をつとめた当地の儒学者松井原泉(1698〜1762、別号東湖、京都の儒者伊藤東涯の門人)の資料が伝わります。
東涯から宛てられた書状、製述官朴矩軒と伊藤蘭嵎(東涯の末弟)の書巻、また原泉が亡くなった二年後に来日した第11次通信使の製述官南秋月・書記成龍淵・同元玄川の詩巻などです。
原泉の著書には、書記李鳳煥(済菴)・柳逅(酔雪)ら第10次一行との詩文唱酬をまとめた『桑韓鏗鏘録』があると伝えますが、こちらは現在確認できていません。

http://www.biwa.ne.jp/~kannon-m/hosyu-3-6.htm

死して尚、太閤様の御威光って感じですかね。
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