今年も8月15日がやってきました。
投稿者: sora_ni_kiss 投稿日時: 2002/08/29 19:23 投稿番号: [78958 / 203793]
【つづき】
以上のようなベトナム反戦に対する推論は、文字通り推論でしかありません。だがその根拠として私が用いたのはNATOの空爆でした。
NATO空爆の原因となったのはセルビアの民族浄化運動(非セルビア人を虐殺し、あるいはセルビア人の子供を孕ませることでその地をセルビア化する。各地の民族紛争で繰り返されてきた方法)と、戦争難民の映像によって第二次大戦の自分たちの古傷をつつかれたドイツの過剰反応でした。
それにもかかわらず、事件後に出た関連書籍では、セルビアの指導者ミロシェビッチがどのような政策を行おうとしたのかとか、なぜドイツは空爆に踏み出したのかとか、その当たりについてはほとんど触れられていない。重要な要因となったはずのそれらは、どうでもいいかのようにおざなりに扱われています。
代わりに満ち満ちているのは、これでもかというほどの同情を誘う話です。戦争は一部の指導者が勝手に起こしたもので、民衆は純粋な被害者であるかのように描かれている。そしてたいてい、加害者扱いされるのはNATOです。
そうでしょうか?上官の命令にしたがってか嬉々としてかはともかく、民族浄化を行ったのは下級の兵卒たちであり、彼らはもちろん民衆から徴兵、あるいは募兵によって戦争に参加したのです。
彼ら全員が無理に徴兵され、民族浄化をやらされているのだとしても、民族主義を掲げたミロシェビッチを大手を振って歓迎し、大統領に選んだという責任があるのも事実です。
このように考えると、NATO空爆への感情的な非難は、事態の「見えやすい部分」だけを見て、感情を暴走させた結果だとしか思えません。
たしかにNATOは人道的な介入を掲げながら、一般民衆をも殺しました。それは許されることではありません。だが、人道も掲げずに一般民衆を虐殺するのはもっと許されるべきでない行為のはずです。
そして反対論者は、「戦争止めろ」「空爆止めろ」とは言うが代替案を示しはしません。「人道的かどうかは何処が決めたんだ」とは言うが「どこどこが決めるべきだ」とは言いません。
NATO空爆前の状況を考えてみましょう。セルビアでは民族主義的な大統領が民衆の熱狂のうちに、アルバニア人、クロアチア人の虐殺を指示(あるいは容認)しています。これを止めるてだてはなにか?
ここで「経済制裁」を主張するなら、それは空爆よりも悪いと言っておきます。空爆は加害者に一抹の罪悪感を与えることがあります。すくなくとも参加した兵士はその手で爆弾を投下し、人を殺したのです。
経済制裁は、誰もその手で爆弾を落としたりはしません。食糧その他の物資を止めるだけです。セルビアでは食糧が不足し、衣類が不足し、餓死者と凍死者が出るかもしれません。だがだれも罪悪感を覚えません。戦争で人が派手に吹っ飛ぶのは悪いが、そのような間接的で、より悪辣な手段は許されるのでしょうか?
ちなみに、現実では経済制裁はほとんど意味を為しえませんでした。ユーゴはバルカンきっての農業国であり、経済を封鎖しても被害は少なかったのです。
以上のようなベトナム反戦に対する推論は、文字通り推論でしかありません。だがその根拠として私が用いたのはNATOの空爆でした。
NATO空爆の原因となったのはセルビアの民族浄化運動(非セルビア人を虐殺し、あるいはセルビア人の子供を孕ませることでその地をセルビア化する。各地の民族紛争で繰り返されてきた方法)と、戦争難民の映像によって第二次大戦の自分たちの古傷をつつかれたドイツの過剰反応でした。
それにもかかわらず、事件後に出た関連書籍では、セルビアの指導者ミロシェビッチがどのような政策を行おうとしたのかとか、なぜドイツは空爆に踏み出したのかとか、その当たりについてはほとんど触れられていない。重要な要因となったはずのそれらは、どうでもいいかのようにおざなりに扱われています。
代わりに満ち満ちているのは、これでもかというほどの同情を誘う話です。戦争は一部の指導者が勝手に起こしたもので、民衆は純粋な被害者であるかのように描かれている。そしてたいてい、加害者扱いされるのはNATOです。
そうでしょうか?上官の命令にしたがってか嬉々としてかはともかく、民族浄化を行ったのは下級の兵卒たちであり、彼らはもちろん民衆から徴兵、あるいは募兵によって戦争に参加したのです。
彼ら全員が無理に徴兵され、民族浄化をやらされているのだとしても、民族主義を掲げたミロシェビッチを大手を振って歓迎し、大統領に選んだという責任があるのも事実です。
このように考えると、NATO空爆への感情的な非難は、事態の「見えやすい部分」だけを見て、感情を暴走させた結果だとしか思えません。
たしかにNATOは人道的な介入を掲げながら、一般民衆をも殺しました。それは許されることではありません。だが、人道も掲げずに一般民衆を虐殺するのはもっと許されるべきでない行為のはずです。
そして反対論者は、「戦争止めろ」「空爆止めろ」とは言うが代替案を示しはしません。「人道的かどうかは何処が決めたんだ」とは言うが「どこどこが決めるべきだ」とは言いません。
NATO空爆前の状況を考えてみましょう。セルビアでは民族主義的な大統領が民衆の熱狂のうちに、アルバニア人、クロアチア人の虐殺を指示(あるいは容認)しています。これを止めるてだてはなにか?
ここで「経済制裁」を主張するなら、それは空爆よりも悪いと言っておきます。空爆は加害者に一抹の罪悪感を与えることがあります。すくなくとも参加した兵士はその手で爆弾を投下し、人を殺したのです。
経済制裁は、誰もその手で爆弾を落としたりはしません。食糧その他の物資を止めるだけです。セルビアでは食糧が不足し、衣類が不足し、餓死者と凍死者が出るかもしれません。だがだれも罪悪感を覚えません。戦争で人が派手に吹っ飛ぶのは悪いが、そのような間接的で、より悪辣な手段は許されるのでしょうか?
ちなみに、現実では経済制裁はほとんど意味を為しえませんでした。ユーゴはバルカンきっての農業国であり、経済を封鎖しても被害は少なかったのです。
これは メッセージ 78950 (sora_ni_kiss さん)への返信です.
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