韓国教科書の例
投稿者: han_han_7 投稿日時: 2002/05/06 23:08 投稿番号: [50659 / 203793]
日清戦争(一八九四−五年)での日本の勝利は韓国(朝鮮)が千数百年にわたる中国の支配圏、影響圏から抜け出す決定的なきっかけになった。それは韓国にとって近代化推進のチャンスになった。しかし韓国の中学教科書「国史(下)」はこう記述している。
「朝鮮に軍隊を派遣した日本は朝鮮政府の内政改革に干渉しながら彼らの侵略に利用しようとした。甲午改革は日本の干渉があったとしてもすでに開化思想を基に推進されていた開化政策を継承したものだった。甲午改革で政治、社会、経済的な面で近代的な制度が作られ、わが国が近代社会に発展する契機になった」
日本軍の派兵は、農民による大規模な反乱である「東学農民運動」の鎮圧のため政府軍支援に出兵した清軍に対抗するもので、これが日清戦争のきっかけになった。
しかし教科書では「東学農民運動を契機に軍隊を派遣した日本は、この機会に侵略の足掛かりをつくるため武力で朝鮮政府を脅して内政改革を要求し、清・日戦争を挑発した」とあり、清の派兵には触れていない。
内政改革というのは国政事務の宮中からの独立、科挙の廃止、租税の金納、身分差別廃止、拷問禁止など近代化のための制度改革だった(甲午改革)。後には頭のまげをやめる「断髪令」なども出された(乙未改革)。
しかし「改革があまりにも性急に推進されただけでなく、日本の干渉によって国民の反発を買いもした」という。つまり日本が近代化を押し付けたため守旧的だった世論の反発を受けたというわけだ。
教科書はこの時期についてしきりに「日本の干渉」を強調し批判しているが、「干渉」とは近代化推進のことである。したがってこのあたりの経過は、保守派の強い抵抗で自主的改革(近代化)が遅れたため干渉を招いたということだろう。
韓国は中国の支配圏から脱したことでこれまでの「朝鮮」という国号を「大韓帝国」に改め、国王・高宗は高宗皇帝となり年号も自前の「光武」を定めた(一八九七年)。それまでの国号の「朝鮮」は、朝鮮王朝スタートに際し中国(明)に選んでもらったものだったからだ。
教科書は大韓帝国の出発を「自主国家の姿をもった」ものと高く評価し「大韓帝国は列強勢力がお互い競争する情勢を利用し自主国家として発展するため各種の改革を推進した」とする一方で「(しかし)執権層内部の保守的傾向で大きな成果は上げられず、外勢の侵略も効果的に防ぐことができなかった」と書いている。
「中国支配圏からの独立」は朝鮮半島の歴史においては重大なできごとである。しかしそれが日清戦争での日本の勝利によってもたらされ、自前でなかったせいか、その歴史的意味については詳しく記述されていない。
「(日清戦争の後)三国干渉でロシアは満州での鉄道敷設権を獲得するなどその勢力を拡大し、わが国にも各種利権を強要し浸透してきた。ロシアはその間、推進してきた南下政策の一環として釜山付近の馬山浦に海軍基地を造ろうとし、満州に軍隊を駐屯させようとした。このようなロシア勢力の増大は清・日戦争後、積極的にわが国に対する侵略政策を推進していた日本との対立を激化させた」
正確な記述である。
日本は日露戦争(一九〇四−五年)で勝利した後、引き続きロシアの脅威を背景に韓国に対する支配を強め、まず日韓保護条約(韓国では乙巳条約・一九〇五年)で外交権などを握った。その際、「米国や英国など列強は東アジアでの彼らの利益が保障されることを代価に日本の侵略を黙認した」としている。
その後、「高宗皇帝を強制的に退位させた日本は軍隊まで解散させた後、大韓帝国を植民地にするため侵奪を続けた。つまり大韓帝国の司法権を奪った後、警察権まで統監部が掌握し、行政、司法、治安などすべての分野に対する支配権を強化していった」が、教科書は日韓併合についてはこう記述している。
「日帝は李完用(当時の総理大臣)を中心とした親日内閣に大韓帝国を日帝に合併する条約を強要し、ついにわが民族の国権を強奪した。これによって長い間、独自的な文化を創造しながら発展してきたわが民族は日帝の奴隷的状態に陥るにいたった」
日韓併合後の日本支配のことは、中学「国史(下)」では「民族の独立運動」という章になっている。そしてその記述のほとんどは「三・一独立運動」「大韓民国臨時政府」「国内の独立運動」「民族文化守護運動」として、支配されたことより自分たちがいかに日本に抵抗し、よく戦ったかという内容になっている。
「朝鮮に軍隊を派遣した日本は朝鮮政府の内政改革に干渉しながら彼らの侵略に利用しようとした。甲午改革は日本の干渉があったとしてもすでに開化思想を基に推進されていた開化政策を継承したものだった。甲午改革で政治、社会、経済的な面で近代的な制度が作られ、わが国が近代社会に発展する契機になった」
日本軍の派兵は、農民による大規模な反乱である「東学農民運動」の鎮圧のため政府軍支援に出兵した清軍に対抗するもので、これが日清戦争のきっかけになった。
しかし教科書では「東学農民運動を契機に軍隊を派遣した日本は、この機会に侵略の足掛かりをつくるため武力で朝鮮政府を脅して内政改革を要求し、清・日戦争を挑発した」とあり、清の派兵には触れていない。
内政改革というのは国政事務の宮中からの独立、科挙の廃止、租税の金納、身分差別廃止、拷問禁止など近代化のための制度改革だった(甲午改革)。後には頭のまげをやめる「断髪令」なども出された(乙未改革)。
しかし「改革があまりにも性急に推進されただけでなく、日本の干渉によって国民の反発を買いもした」という。つまり日本が近代化を押し付けたため守旧的だった世論の反発を受けたというわけだ。
教科書はこの時期についてしきりに「日本の干渉」を強調し批判しているが、「干渉」とは近代化推進のことである。したがってこのあたりの経過は、保守派の強い抵抗で自主的改革(近代化)が遅れたため干渉を招いたということだろう。
韓国は中国の支配圏から脱したことでこれまでの「朝鮮」という国号を「大韓帝国」に改め、国王・高宗は高宗皇帝となり年号も自前の「光武」を定めた(一八九七年)。それまでの国号の「朝鮮」は、朝鮮王朝スタートに際し中国(明)に選んでもらったものだったからだ。
教科書は大韓帝国の出発を「自主国家の姿をもった」ものと高く評価し「大韓帝国は列強勢力がお互い競争する情勢を利用し自主国家として発展するため各種の改革を推進した」とする一方で「(しかし)執権層内部の保守的傾向で大きな成果は上げられず、外勢の侵略も効果的に防ぐことができなかった」と書いている。
「中国支配圏からの独立」は朝鮮半島の歴史においては重大なできごとである。しかしそれが日清戦争での日本の勝利によってもたらされ、自前でなかったせいか、その歴史的意味については詳しく記述されていない。
「(日清戦争の後)三国干渉でロシアは満州での鉄道敷設権を獲得するなどその勢力を拡大し、わが国にも各種利権を強要し浸透してきた。ロシアはその間、推進してきた南下政策の一環として釜山付近の馬山浦に海軍基地を造ろうとし、満州に軍隊を駐屯させようとした。このようなロシア勢力の増大は清・日戦争後、積極的にわが国に対する侵略政策を推進していた日本との対立を激化させた」
正確な記述である。
日本は日露戦争(一九〇四−五年)で勝利した後、引き続きロシアの脅威を背景に韓国に対する支配を強め、まず日韓保護条約(韓国では乙巳条約・一九〇五年)で外交権などを握った。その際、「米国や英国など列強は東アジアでの彼らの利益が保障されることを代価に日本の侵略を黙認した」としている。
その後、「高宗皇帝を強制的に退位させた日本は軍隊まで解散させた後、大韓帝国を植民地にするため侵奪を続けた。つまり大韓帝国の司法権を奪った後、警察権まで統監部が掌握し、行政、司法、治安などすべての分野に対する支配権を強化していった」が、教科書は日韓併合についてはこう記述している。
「日帝は李完用(当時の総理大臣)を中心とした親日内閣に大韓帝国を日帝に合併する条約を強要し、ついにわが民族の国権を強奪した。これによって長い間、独自的な文化を創造しながら発展してきたわが民族は日帝の奴隷的状態に陥るにいたった」
日韓併合後の日本支配のことは、中学「国史(下)」では「民族の独立運動」という章になっている。そしてその記述のほとんどは「三・一独立運動」「大韓民国臨時政府」「国内の独立運動」「民族文化守護運動」として、支配されたことより自分たちがいかに日本に抵抗し、よく戦ったかという内容になっている。
これは メッセージ 50653 (han_han_7 さん)への返信です.
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