誇張でしょう 1併合前と比べてね
投稿者: han_han_7 投稿日時: 2002/05/06 01:39 投稿番号: [50499 / 203793]
>日本が韓国を占領中に行った老若男女を問わない虐待・言語/日本名等の強制・略奪について、戦略上なんの意味がありましたでしょうか?
朝鮮併合前の両班(貴族)による略奪、暴行は、有名ですがね。
>身分制度、両班の横暴
6.1両班
韓国誌 302頁、311−312頁
「1894年の改革前には5箇の階級存在したり。即ち貴族(両班)、地方両班、中等民、平民、奴隷是なり。……然れどもこの条例は今日まで多くは死文に属し、……奴隷の1897年に至も猶公然存在するは其の一例なり。」
「強請を為すの方式は驚くべき簡単にして、彼らはその助手を伴い、昼間もしくは夜間に富裕なる商業或いは工業家に侵入し、その主人を捕獲して顕官の家もしくはその他危険なき場所に引致して、従順にして要求を承認する物は遅滞なく放免し、もし要求せらるる額を払わざる者ある時は、笞杖もしくは絶食の苦を与え、之を払うまではその苦痛を免れざらしむ。多少廉恥心ある両班はこの如き略奪を借用の名義において行うと雖も、之を返済したる例なきにより、一人として之に信おく者なし。両班平民より土地家屋等を買い入れたるときは、多くはその代価を払うことなく、又物件を借りたるときも多くは之を返す事なきも平民は一人として決然之に抗する者なし」
シャルル・ダレ:実話として 193−194頁
「みじめで、みすぼらしい風体をした一人の両班が郡衙の近くを通っていた。そこへ泥棒を捜していた4人の捕卒が行き会い、その外見にやや疑念を抱き、もしかするとこれが自分たちの捜している者ではないかと思って、ぶっしつけな尋問をした。すると両班は答えた。「はいそうです。私の家までついて来て下されば、共犯者も教えますし、盗んだ品物を隠している場所も教えます。」捕卒たちがついて行ったところ、この両班は家に帰り着くやいなや、召使いたちと数人の友人を呼んで捕卒たちを捕らえさせ、さんざん殴りつけた。その後その3人からは両眼をえぐり取り、残る一人からは片方の目だけをえぐって、次のようにどなりつけて彼らを帰した。「この野郎ども、分かったか。これからはよーく見て歩け。おまえ等が郡衙に帰れるように、目の玉一つだけ残してやったのだ」
コメント
ダレによると1857年の法令改正により、それまで認められなかった両班の庶子も両班として扱われるようになつた。(190頁)これにより両班は急増した。一説によると併合時両班の数は40%に達したと言われる。(未確認)両班は官吏以外の職に就くと、その後永久に両班の特権を失うので、彼らは失業しても決して他の仕事をしようとしなかった。又彼らは極度に労働を蔑視して、キセルに煙草を詰めるのさえ従僕にさせたといわれる。このように無為徒食する大量の両班を養うため、常民の生活は大変だったようである。
朝鮮併合前の両班(貴族)による略奪、暴行は、有名ですがね。
>身分制度、両班の横暴
6.1両班
韓国誌 302頁、311−312頁
「1894年の改革前には5箇の階級存在したり。即ち貴族(両班)、地方両班、中等民、平民、奴隷是なり。……然れどもこの条例は今日まで多くは死文に属し、……奴隷の1897年に至も猶公然存在するは其の一例なり。」
「強請を為すの方式は驚くべき簡単にして、彼らはその助手を伴い、昼間もしくは夜間に富裕なる商業或いは工業家に侵入し、その主人を捕獲して顕官の家もしくはその他危険なき場所に引致して、従順にして要求を承認する物は遅滞なく放免し、もし要求せらるる額を払わざる者ある時は、笞杖もしくは絶食の苦を与え、之を払うまではその苦痛を免れざらしむ。多少廉恥心ある両班はこの如き略奪を借用の名義において行うと雖も、之を返済したる例なきにより、一人として之に信おく者なし。両班平民より土地家屋等を買い入れたるときは、多くはその代価を払うことなく、又物件を借りたるときも多くは之を返す事なきも平民は一人として決然之に抗する者なし」
シャルル・ダレ:実話として 193−194頁
「みじめで、みすぼらしい風体をした一人の両班が郡衙の近くを通っていた。そこへ泥棒を捜していた4人の捕卒が行き会い、その外見にやや疑念を抱き、もしかするとこれが自分たちの捜している者ではないかと思って、ぶっしつけな尋問をした。すると両班は答えた。「はいそうです。私の家までついて来て下されば、共犯者も教えますし、盗んだ品物を隠している場所も教えます。」捕卒たちがついて行ったところ、この両班は家に帰り着くやいなや、召使いたちと数人の友人を呼んで捕卒たちを捕らえさせ、さんざん殴りつけた。その後その3人からは両眼をえぐり取り、残る一人からは片方の目だけをえぐって、次のようにどなりつけて彼らを帰した。「この野郎ども、分かったか。これからはよーく見て歩け。おまえ等が郡衙に帰れるように、目の玉一つだけ残してやったのだ」
コメント
ダレによると1857年の法令改正により、それまで認められなかった両班の庶子も両班として扱われるようになつた。(190頁)これにより両班は急増した。一説によると併合時両班の数は40%に達したと言われる。(未確認)両班は官吏以外の職に就くと、その後永久に両班の特権を失うので、彼らは失業しても決して他の仕事をしようとしなかった。又彼らは極度に労働を蔑視して、キセルに煙草を詰めるのさえ従僕にさせたといわれる。このように無為徒食する大量の両班を養うため、常民の生活は大変だったようである。
これは メッセージ 50489 (yellow_monkey_ukiuki さん)への返信です.
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