なぜ韓国人は、嫌われるのか?

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森崎剛氏

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2001/12/15 14:11 投稿番号: [28608 / 203793]
私は鄭成功の単冊本の話は伴野氏の本しか読んだことはなく、詳しくはありません。そのほかは台湾関係の本で少し読んだだけです。

伴野氏の本を引っ張り出して探しましたところ、以下のような記述がありました。

鄭成功は寛永元年(1626年)7月14日、平戸で鄭芝龍と田川氏の娘と尾間にうまれた。
母親の名前は田川氏の娘としか伝わっていない。当時の田川市の当主は七左衛門で、祖先は北条家の家臣で田川朝顕といい、蒙古襲来の折に武勲を立てたといわれている。平戸藩にあっては身分の低い家であったようだ。一説には他国からきた漢方医だともいう。鄭成功の幼名は福松である。
一説によると母親は中国人と日本人田川氏の間に生まれた日中混血の女性ともいうが、ここは素直に田川七左衛門の娘ということにしておく。
彼の出生には次のような伝承がある。平戸藩の葉山高行の書いた「遺跡碑銘」によると、
ーー芝龍は土人(土地の人)田川氏の娘をめとり、しばしば藩士の家を訪ね双方の技を学ぶ。すでに田川氏孕み、一日出でて千里が浜にあそび、文貝を疲労。   にわかにまさに分娩せんとし、家に帰る暇あらず。すなわち浜の内の巨石に就きもって生む。

元記者・伴野氏は本を書くにあたり、台湾までいって詳しく調べたそうですから、母が日本人というのは間違いないのではないでしょうか。

国姓爺近合戦を書くとき、近松門左衛門も南方密貿易の船頭たちから詳しく「取材」したといわれています。町人の世界では中国の動向に大きな関心が寄せられていた。かれらの動きに敏感な近松の鋭い創作意欲が、この日中混血の風雲児にすばやく題材を求めたのであろう、と伴野は書いています。

やはり当時の日本が重要視していたのは中国、台湾であり、朝鮮半島ではありませんね。
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