コピペ
投稿者: jedftr 投稿日時: 2001/09/06 06:08 投稿番号: [19401 / 203793]
関東大震災の時には、日本人もたくさん殺された
投稿者:デバイル改めひょっとこウサ太郎
投稿日: 6月 6日(水)15時09分49秒
関東大震災の時に、多数の中国人、朝鮮人が殺されたことは確かです。
しかしこれは、中国人、朝鮮人限定ではありません。
たしかに、中国人や朝鮮人だけを狙った連中はいたかもしれません。
しかし、日本人もたくさん殺されてます。殺す相手は誰でも良かったのです。
一種の魔女狩りのようなものです。
このことで在日の方々に日本人がひけめを感じる必要はありません。
一部の事件だけで、日本人すべてを犯罪者のように扱い、
あたかも日本の歴史を犯罪者の歴史のように語るのはやめてほしい。
新しい教科書にも、中国人、朝鮮人限定ではなかったとぜひ書いて欲しかった。
嘘吐きコリアン姜徳相>ひろさん 投稿者:デスザウラー 投稿日: 5月 8日(火)22時48分26秒
姜徳相は、歴史の改竄・歪曲・捏造の第一人者です。『関東大震災』は、その典型といったところで、小生もかなり読み込みました。原資料の歪曲、摩り替え、改竄のオンパレードですね。(凄いことに、都内のある高校では平和教育の教材としてこれで読書会を行っていたとか)
他でも、姜は「事実この時期(関東大震災時)の治安責任者だった水野練太郎(注、内相)、赤池濃(警視総監)、石光真臣(第一師団長)のトリオはすべて3.1独立運動(大正8年)の時に朝鮮で鎮圧に当たった現場の指揮官である」(関東大震災七〇周年記念行事実行委員会編『この歴史永遠に忘れず』p143)と言っていますがこれは実は大嘘。
まず、前記の3.1暴動ですが発生したのは大正8年3〜4月でした。
一方、震災当時の水野内相ですが、彼が朝鮮総督府政務総監に起用されたのは、事態が鎮定された後の9月です。就任当日、斉藤新総督と共に爆弾テロに襲われた水野総監ですが、にも関らずハングル新聞の発行や結社の自由を認める等、政治的自由の拡大を断行した人物でした。
かかる朝鮮統治改革の目玉の一つが警察制度の刷新で、従来憲兵を主とした武断的な憲兵警察制度から、文民警察を主とする普通警察制度への移行をまず水野総監は始めましたが、このために起用されたのがそれまで総督府「内務部長」だった赤池です。赤池は、普通警察制度確立のために新設された警務局長の初代局長に就任し、普通警察制度をたった三ヶ月で作り上げる敏腕を発揮しています。
最後に石光第一師団長ですが、確かに彼は暴動時の憲兵司令官でした。しかし、彼は暴動鎮圧のために現地に赴いたという事実はありません。朝鮮憲兵隊は朝鮮総督に隷属し、内地の憲兵司令官の指揮権は及ばないのであって、憲兵司令官がのこのこ出かけても、何もする事はありません。憲兵司令官として石光が取った処置は、65名の応援憲兵を内地から派遣しただけです。
このように、上記の3者は、何れも暴動を鎮圧する立場にはいませんでした。それどころか、前二者は武断統治を軽減する方向で働いた人物だったのです。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4759/130305-1.html
詳しくは、上記をご覧下さい。
なお、この問題では昭和史研究所会報誌上でも、土門見人という人物が、研究成果を不定期に連載しています。
http://www.interq.or.jp/asia/showashi/bulletin.htm
を御参照下さい。
姜は、他でも資料集『関東大震災と朝鮮人』(みすず書房)でも、水野内相談話を改竄しております。一体誰が、こんなデマ屋に滋賀県立教授なんて地位をくれてやったのでしょうか?
姜を知る、ある拉致問題の専門家は、呆れ顔で「お話にならない」という風にだけ評していました。
関東大震災の時に、多数の中国人、朝鮮人が殺されたことは確かです。
しかしこれは、中国人、朝鮮人限定ではありません。
たしかに、中国人や朝鮮人だけを狙った連中はいたかもしれません。
しかし、日本人もたくさん殺されてます。殺す相手は誰でも良かったのです。
一種の魔女狩りのようなものです。
このことで在日の方々に日本人がひけめを感じる必要はありません。
一部の事件だけで、日本人すべてを犯罪者のように扱い、
あたかも日本の歴史を犯罪者の歴史のように語るのはやめてほしい。
新しい教科書にも、中国人、朝鮮人限定ではなかったとぜひ書いて欲しかった。
嘘吐きコリアン姜徳相>ひろさん 投稿者:デスザウラー 投稿日: 5月 8日(火)22時48分26秒
姜徳相は、歴史の改竄・歪曲・捏造の第一人者です。『関東大震災』は、その典型といったところで、小生もかなり読み込みました。原資料の歪曲、摩り替え、改竄のオンパレードですね。(凄いことに、都内のある高校では平和教育の教材としてこれで読書会を行っていたとか)
他でも、姜は「事実この時期(関東大震災時)の治安責任者だった水野練太郎(注、内相)、赤池濃(警視総監)、石光真臣(第一師団長)のトリオはすべて3.1独立運動(大正8年)の時に朝鮮で鎮圧に当たった現場の指揮官である」(関東大震災七〇周年記念行事実行委員会編『この歴史永遠に忘れず』p143)と言っていますがこれは実は大嘘。
まず、前記の3.1暴動ですが発生したのは大正8年3〜4月でした。
一方、震災当時の水野内相ですが、彼が朝鮮総督府政務総監に起用されたのは、事態が鎮定された後の9月です。就任当日、斉藤新総督と共に爆弾テロに襲われた水野総監ですが、にも関らずハングル新聞の発行や結社の自由を認める等、政治的自由の拡大を断行した人物でした。
かかる朝鮮統治改革の目玉の一つが警察制度の刷新で、従来憲兵を主とした武断的な憲兵警察制度から、文民警察を主とする普通警察制度への移行をまず水野総監は始めましたが、このために起用されたのがそれまで総督府「内務部長」だった赤池です。赤池は、普通警察制度確立のために新設された警務局長の初代局長に就任し、普通警察制度をたった三ヶ月で作り上げる敏腕を発揮しています。
最後に石光第一師団長ですが、確かに彼は暴動時の憲兵司令官でした。しかし、彼は暴動鎮圧のために現地に赴いたという事実はありません。朝鮮憲兵隊は朝鮮総督に隷属し、内地の憲兵司令官の指揮権は及ばないのであって、憲兵司令官がのこのこ出かけても、何もする事はありません。憲兵司令官として石光が取った処置は、65名の応援憲兵を内地から派遣しただけです。
このように、上記の3者は、何れも暴動を鎮圧する立場にはいませんでした。それどころか、前二者は武断統治を軽減する方向で働いた人物だったのです。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4759/130305-1.html
詳しくは、上記をご覧下さい。
なお、この問題では昭和史研究所会報誌上でも、土門見人という人物が、研究成果を不定期に連載しています。
http://www.interq.or.jp/asia/showashi/bulletin.htm
を御参照下さい。
姜は、他でも資料集『関東大震災と朝鮮人』(みすず書房)でも、水野内相談話を改竄しております。一体誰が、こんなデマ屋に滋賀県立教授なんて地位をくれてやったのでしょうか?
姜を知る、ある拉致問題の専門家は、呆れ顔で「お話にならない」という風にだけ評していました。
これは メッセージ 18947 (jigoku_taishi さん)への返信です.
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