Re: Jap0の「大いるぼん帝国まんせー」?
投稿者: apoon5 投稿日時: 2006/02/03 04:32 投稿番号: [188248 / 203793]
続き〜(世界の教科書
アメリカ編)
[第27章 2000年に向かって(1988−2000年)] [2 冷戦後の世界に向かって]
貿易競争
「日本製」。1950年代、アメリカ人はこの表示に、安い、粗末に作られた製品を連想した。
全訳 世界の歴史教科書シリーズ5 イギリス V その人々の歴史 帝国書院より
Longman Secondary Histories The Modern World since 1870
L.E.Snellgrove (初版発行1968年 第9版発行1979年)
このような体制は、日本人が外国人に対して国を閉ざしていたために、いっそう堅固
にされた。200年以上にわたって、ほとんど誰も外国人は日本には入れなかったし、日本
人も国外に出られなかった。それ以前には、中国風の様式が模倣されたが、今では模倣す
る相手がいなくなり、生活はほとんど変化をなくしてしまった
その結果、1800年には日本人は技術的に
見て、トルコ人よりも後進的になってしまった。日本人の祖国は、アジアの沖合いに浮か
ぶ、孤独な美しい牢獄ともいえるべきものとなった
1853年から53年にかけて、ペリー提督は、アメリカの艦隊の規模を拡大して、日本を
くり返し訪れた。
そしてしまいには、軍事行動に出るため、軍艦の準備を整えるよう命令するところまで
立ちいたった。中世に生きる人々が、近代的な大砲の銃口をながめなければならないこと
になったため、日本人としては、降参するほかなかった。
彼らの国は、銃口を突きつけられるなかで、「開国」したのである。
19 ●真珠湾への道 極東1917〜1941 より
ヨーロッパについては、この政策は、近視眼的であったといえるが、極東に適用さ
れた場合には、悲惨な結果を招くもととなった。日本の人口は、近代化が開始されて以
来、着実に増大してきていた。1852年には1,700万人であった人口が、1910年には4,900
万人になり、その30年後には、7,200万人にも達していたのである。
しかし,日本はアメリカのカリフォルニア州よりも小さな国で、作物を育てることのでき
ない山岳地帯が多く存在していた。そこで日本の指導者たちは、近隣のアジア地域の中で
比較的人間の住んでいない地域に,国民を移住させる必要があると感じていた。日清・日
露両戦争における征服行動の背後には、こうした衝動がひそんでいた。
この動きは、第一次世界大戦中,ヨーロッパ諸国からの競合状態がなくなったことによっ
て推進された。日本は商船トン数を2,100トンから3,100万トンにふやし、安い商品、とり
わけ繊維製品を世界中に氾濫させた。また日本は中国を脅して、21か条要求を受け入れさ
せた。それは中国を日本の衛星国にしてしまうものといってもよい内容であった。
[第27章 2000年に向かって(1988−2000年)] [2 冷戦後の世界に向かって]
貿易競争
「日本製」。1950年代、アメリカ人はこの表示に、安い、粗末に作られた製品を連想した。
全訳 世界の歴史教科書シリーズ5 イギリス V その人々の歴史 帝国書院より
Longman Secondary Histories The Modern World since 1870
L.E.Snellgrove (初版発行1968年 第9版発行1979年)
このような体制は、日本人が外国人に対して国を閉ざしていたために、いっそう堅固
にされた。200年以上にわたって、ほとんど誰も外国人は日本には入れなかったし、日本
人も国外に出られなかった。それ以前には、中国風の様式が模倣されたが、今では模倣す
る相手がいなくなり、生活はほとんど変化をなくしてしまった
その結果、1800年には日本人は技術的に
見て、トルコ人よりも後進的になってしまった。日本人の祖国は、アジアの沖合いに浮か
ぶ、孤独な美しい牢獄ともいえるべきものとなった
1853年から53年にかけて、ペリー提督は、アメリカの艦隊の規模を拡大して、日本を
くり返し訪れた。
そしてしまいには、軍事行動に出るため、軍艦の準備を整えるよう命令するところまで
立ちいたった。中世に生きる人々が、近代的な大砲の銃口をながめなければならないこと
になったため、日本人としては、降参するほかなかった。
彼らの国は、銃口を突きつけられるなかで、「開国」したのである。
19 ●真珠湾への道 極東1917〜1941 より
ヨーロッパについては、この政策は、近視眼的であったといえるが、極東に適用さ
れた場合には、悲惨な結果を招くもととなった。日本の人口は、近代化が開始されて以
来、着実に増大してきていた。1852年には1,700万人であった人口が、1910年には4,900
万人になり、その30年後には、7,200万人にも達していたのである。
しかし,日本はアメリカのカリフォルニア州よりも小さな国で、作物を育てることのでき
ない山岳地帯が多く存在していた。そこで日本の指導者たちは、近隣のアジア地域の中で
比較的人間の住んでいない地域に,国民を移住させる必要があると感じていた。日清・日
露両戦争における征服行動の背後には、こうした衝動がひそんでいた。
この動きは、第一次世界大戦中,ヨーロッパ諸国からの競合状態がなくなったことによっ
て推進された。日本は商船トン数を2,100トンから3,100万トンにふやし、安い商品、とり
わけ繊維製品を世界中に氾濫させた。また日本は中国を脅して、21か条要求を受け入れさ
せた。それは中国を日本の衛星国にしてしまうものといってもよい内容であった。
これは メッセージ 188247 (apoon5 さん)への返信です.