>会奸薩賊
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/07/04 01:09 投稿番号: [181342 / 203793]
>姉妹都市提携を申し込んだものの、むべもなく断られたことがあったと思います。
それ、本で読みました。
驚きましたよ。まだそういう事があるのだと思うと。(ワタシなんぞは所詮第三者なので、こういう言い放ち方が出来るわけなんですが。)
ただ、在日韓国人が自分らと日本の関係を薩長・会津の関係に置き換えるのは、間違っていると思います。
「戦った」のと、戦わずに右往左往して自分から他国に併合を申し出るのは、100%違う。
>私は長州の側なので会津の人の感情は実際のところわからないのですが、どうもまだ会津では長州に対して感情のしこりが残っているのではと感じています。
仕方ない、という言い方はずるいかも知れないのですが、長州(薩摩も)は、関ヶ原後に大幅に減封されて、一度は自己破産しようとしたけど、それでも必死に臥薪嘗胆視、幕末には実質100万石を超えていたとも言われています。これは長州のたゆまぬ努力の賜物です。
一方、会津は最初から「暗黙の親藩」そして「公認の親藩」として優遇されてきて、最後の最後に大戦争で叩き潰されたのですから、会津としても薩長の言い分は、「よく分からない」と思います。(特に薩摩800年の紆余曲折は、会津側には分かりにくいのではないかと思います。)
>長州の立場から言えば会津と薩摩には煮え湯を飲まされたような思いをさせられ、ぞうりの裏に’会奸薩賊’と書いて歩くようなことがあったのですけどね。
「蛤御門の変」は、まさにそれですね。
旗印は、「討薩賊会奸」「尊皇攘夷」。
キレイな言い方は、これまたずるいようで気が引けますが、以上は全て、新生日本の陣痛だったと思います。
長州の吉田松陰の思想が革命のエネルギーになり、それに薩摩の「チェスト関ヶ原」の掛け声、そして、会津の肥後守容保が死ぬまで孝明天皇の御宸翰を決してひけらかさず、言い訳もしなかった潔さは、大いに誇れるものだと思います。
これは メッセージ 181297 (i_hate_chon2002 さん)への返信です.
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