翻訳ソフトの限界
投稿者: hyugeru29 投稿日時: 2005/05/09 20:56 投稿番号: [179207 / 203793]
これは、私の推測なのですが。
(でも天知=天智だったことを考えると・・・)
あなたが使用されている翻訳ソフトは、「日本人の名前」を、翻訳しきれないのでは、ないでしょうか。
また、この時代。
ひとりの人間が、いくつもの名前を持っています。
例:中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)=葛城皇子(かずらきのおうじ)=天智天皇(てんじてんのう)
孝徳天皇(こうとくてんのう)=軽(かる)
皇極天皇(こうぎょくてんのう)=斉明天皇(さいめいてんのう)=宝皇女(たからのひめみこ?)
系図・名前は、こちらを参考にしてください。
孝徳天皇は、中大兄皇子の叔父にあたります。(母親・皇極天皇の同母弟)
『壬申の乱に登場する人物』
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/jinshin/jinbutsu.htm
そして、『倭国(和国)』というのは、当時の日本です。百済王朝の分家ではありません。
日本の国としての名前も、『倭国(和国)』=『日の本』=『大日本帝国』=『日本国』=『Japan』と、
時代ごとに、変化していますが、国としては、同じです。天皇家も繋がっています。
白村江の戦いに関しては、こちらが、詳しくまとまっています。
『白村江の戦い』
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/hakusonkou/hakusonkou.htm
>>このことは、日本書紀にも、白村江の戦いについての記述の中で、百済王朝の分家である『和国』が百済救済に出兵した記述があります。
孝徳天皇は百済王家の『軽』であり、中大兄は、その弟の『ぎょう岐』でした。
翻訳訂正(私の推測)
>>このことは、日本書紀にも、白村江の戦いについての記述の中で、百済王朝の皇子(=百済王朝の分家)である『豊璋(ほうしょう)』を王位につけるため、『和国』が、百済に出兵した記述があります。孝徳天皇(=軽)は、皇極(=ぎょう岐?)天皇の弟であり、中大兄皇子の傀儡のようなものでした。
では、ないでしょうか?
また、和国=百済王朝の分家・とありますが。
百済
くだら【百済】
古代朝鮮の三国の一。朝鮮半島西南部に拠った王国。四世紀半ばに部族国家の馬韓(ばかん)北部の伯済国が建国。都を漢城としたが、のち高句麗(こうくり)に圧迫され、熊津(ゆうしん)・夫余と変えた。建国当初より日本とは友好関係を保ち、日本に仏教その他の大陸文化を伝える。六六〇年、新羅・唐連合軍に滅ぼされた。ひゃくさい。
きんめい‐てんのう〔‐テンワウ〕【欽明天皇】 [(五一〇〜五七一)]
第二九代の天皇。継体天皇の皇子。名は天国排開広庭(あめくにおしはらきひろにわ)。
在位中に百済(くだら)から仏教が伝来したという。
という記述があるように、百済と和国は、全く別の国です。
あと、日本の文献を読まれる場合、人名は、ヤフー辞書などで、検索されたほうが、いいと思います。
日本人でも覚えるのに困るくらい、たくさんの名前を持っているひとが、多いのです。(地位が高いひとほど)
例:豊臣秀吉=日吉丸=木下藤吉郎=羽柴秀吉=豊太閤
聖徳太子=厩戸(うまやど)皇子=豊聡耳(とよとみみ)皇子=上宮(じようぐう)太子
(でも天知=天智だったことを考えると・・・)
あなたが使用されている翻訳ソフトは、「日本人の名前」を、翻訳しきれないのでは、ないでしょうか。
また、この時代。
ひとりの人間が、いくつもの名前を持っています。
例:中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)=葛城皇子(かずらきのおうじ)=天智天皇(てんじてんのう)
孝徳天皇(こうとくてんのう)=軽(かる)
皇極天皇(こうぎょくてんのう)=斉明天皇(さいめいてんのう)=宝皇女(たからのひめみこ?)
系図・名前は、こちらを参考にしてください。
孝徳天皇は、中大兄皇子の叔父にあたります。(母親・皇極天皇の同母弟)
『壬申の乱に登場する人物』
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/jinshin/jinbutsu.htm
そして、『倭国(和国)』というのは、当時の日本です。百済王朝の分家ではありません。
日本の国としての名前も、『倭国(和国)』=『日の本』=『大日本帝国』=『日本国』=『Japan』と、
時代ごとに、変化していますが、国としては、同じです。天皇家も繋がっています。
白村江の戦いに関しては、こちらが、詳しくまとまっています。
『白村江の戦い』
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/hakusonkou/hakusonkou.htm
>>このことは、日本書紀にも、白村江の戦いについての記述の中で、百済王朝の分家である『和国』が百済救済に出兵した記述があります。
孝徳天皇は百済王家の『軽』であり、中大兄は、その弟の『ぎょう岐』でした。
翻訳訂正(私の推測)
>>このことは、日本書紀にも、白村江の戦いについての記述の中で、百済王朝の皇子(=百済王朝の分家)である『豊璋(ほうしょう)』を王位につけるため、『和国』が、百済に出兵した記述があります。孝徳天皇(=軽)は、皇極(=ぎょう岐?)天皇の弟であり、中大兄皇子の傀儡のようなものでした。
では、ないでしょうか?
また、和国=百済王朝の分家・とありますが。
百済
くだら【百済】
古代朝鮮の三国の一。朝鮮半島西南部に拠った王国。四世紀半ばに部族国家の馬韓(ばかん)北部の伯済国が建国。都を漢城としたが、のち高句麗(こうくり)に圧迫され、熊津(ゆうしん)・夫余と変えた。建国当初より日本とは友好関係を保ち、日本に仏教その他の大陸文化を伝える。六六〇年、新羅・唐連合軍に滅ぼされた。ひゃくさい。
きんめい‐てんのう〔‐テンワウ〕【欽明天皇】 [(五一〇〜五七一)]
第二九代の天皇。継体天皇の皇子。名は天国排開広庭(あめくにおしはらきひろにわ)。
在位中に百済(くだら)から仏教が伝来したという。
という記述があるように、百済と和国は、全く別の国です。
あと、日本の文献を読まれる場合、人名は、ヤフー辞書などで、検索されたほうが、いいと思います。
日本人でも覚えるのに困るくらい、たくさんの名前を持っているひとが、多いのです。(地位が高いひとほど)
例:豊臣秀吉=日吉丸=木下藤吉郎=羽柴秀吉=豊太閤
聖徳太子=厩戸(うまやど)皇子=豊聡耳(とよとみみ)皇子=上宮(じようぐう)太子
これは メッセージ 179181 (wakarehaitumotuitekuru さん)への返信です.