>「宴のあと」
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2004/03/19 02:56 投稿番号: [157463 / 203793]
これは、地裁判決の後、和解したはずですね。地裁判決はプライヴァシーの侵害をみとめましたが。有田元外相の内妻ですか、その人の書いた文を読んだことがありますが、まともなことを言っていました。
福島某の「剣と寒椿」が三島とのプライヴァシーを書いたものですが、まあ、別に何ということはないですね。金のために書いたなどといわれていたみたいですが。これも遺族は差し止めをもとめましたかね。
出版社が文春というのがおもしろい。三島の多くは新潮社からでていますから。
>仮にこの時、三島の決起が無かったとしても、はたしてその後の世界で彼の「魂」は、ノーベル賞貰うまで生きることが出来たのだろうか?
それともミシマ消えたればこその、マスコミの変貌だったのか??
別の答えなのですが、三島がノーベル賞を、貰っていたら死んでいたか、死ななかったか、という論議もありました。これは本人でないと分かりませんね。「ノーベル賞作家の自殺」の方がインパクトがあるだろうから、死んでいたかも知れないし、またそうでないかもしれないし。
以前書いたことで、NHKの番組でもやっていたのですが、川端の自殺は三島の自殺が影響していたのはたしかなようですね。(川端がノーベル賞を貰った後で、三島が川端の家にお祝いに行った帰りかなにかに、これで日本から文学賞の受賞者は当分出ないなあ、といったとか言う話とは別の文脈なのですが)。三島の楯の会をお遊びと思った川端は、冷たい態度をとったのですが、三島の死後、川端は弟子を見捨てたという後悔に悩んでいたのは事実みたいです。三島も川端は自分の師などではないというようになって、これが川端の耳にはいったのでしょう。
私は大江などより三島の文学の方が「国際受け」はするとおもうのですが。「午後の曳航」などは海外でも評価が高いですし。ただし、「豊穣の海」はよくわかりません。
近代能楽集も評価はたかいのですが、その中の「卒塔婆小町」の、老婆が美女に見えるという話は、江戸川乱歩の短編の「防空壕」というのにそっくりな話があります。三島がこれを知っていたかどうか知りませんが。
楜沢というと、私は「天山を越えて」しか読んでいないのですが、これは結構おもしろかったですね。中国西域の地図を拡大して見ながら、呼んだ記憶があります。
金閣寺についてはトピずれなのではずします。
これは メッセージ 157461 (sutehanjirou_32km さん)への返信です.
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