なぜ韓国人は、嫌われるのか?

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>小園司令が裁かれたのは

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/05/31 01:04 投稿番号: [132856 / 203793]
情報を有り難うございました。

>進駐してくるアメリカ軍に対するゴマスリでしょう。

軍法会議における審判長(裁判長)は、小柳富次少将(レイテ沖海戦での、栗田中将の参謀長)でしたね。
小園大佐は「失官」、つまり、「クビ」であり、連座した少壮の将校達も、半分騙されて逮捕されています。(彼等は陸軍の児玉飛行場に集結し、抗戦の意思を表明していた。)
厚木の最大の悲劇としては、飛行長山田九七郎少佐が、結婚後日が浅い夫人の希望で、心中した事でしょうか。(夫人の大家宛の遺書により、判明。)
山田夫人は水商売関連の娘という事で本来なら結婚には海軍大臣の許可が下りなかったのを、小園司令が、「なあに、ワシに任せておけ! 霞ヶ関(海軍省)の石頭どもをワシが説得してみせるワイ」と、その娘を一旦小園家の養女にし、山田少佐は結婚できたらしいです。

厚木では、横須賀鎮守府ののらりくらりに業を煮やした小園司令の指導のもと、食料の自給(ニワトリを飼ったり、野菜を栽培したり)や設備の地下移設などを進め、一種の独立部隊的な雰囲気があったようですね。(小園自身は横鎮参謀なども兼務していたので、主に横須賀で勤務。)
彼は、上層部を「あいつらは楠公を陥れた坊門だ」と呼んでいたようです。

戦果も赫々たるもので、終戦当日でも、空中戦で米海軍がグラマンF6Fを4機喪失し、厚木側は零戦2機と雷電1機を喪失しています。
これは、当時の戦果としては立派なものでした。これらを率いたのは、隻腕の隊長森岡寛(ゆたか)大尉でした。士気は高かったと言えましょうか。
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