>>>「○宗」
投稿者: J_Fooker 投稿日時: 2003/04/05 01:27 投稿番号: [127096 / 203793]
>彼の生前の木像の一つには、「鹿苑院太上天皇」と書かれているらしいですよ
鹿苑寺=金閣寺で、ここは義満の宮殿であった北山第の一部なのですから、簒奪の手順はほぼ整っていたと考えて良いでしょうね。
>室町幕府側は義満の死後、その「諡号」を丁重に拒否
これは義満の横死(彼には暗殺の噂がある)によって、室町幕府の実権が将軍義持とその側近へと移ったためでしょう。
義満は、生前義持よりも義嗣を可愛がっていたらしく、彼を天皇にするつもりだったみたいですね。
義満に贈られた名が太上天皇=上皇であるのもそのためでしょう。
>朝廷から何か下問された場合の、「詭弁」として用意していたかもしれません。
この辺、天皇の位置付けがどのようなものだったのか?という意味で興味深い部分だと思います。
幕末のような法的位置付けを天皇という存在が持っていたのかどうかは疑わしい気もしますね。
あれは水戸学によって作られた位置付けと言う面がかなり強いと思う。
>江戸期は、対李朝外交で、征夷大将軍の呼称をどうするかで議論になり
これは幕末になると、西洋諸国との関係でも問題になっていましたね。
「日本の代表者は誰なのか?」
と言うことで。
個人的には、日本史のかなりの部分において、「天皇」と言う存在は王というより「教皇」のようなものじゃなかったのかと思います。
ま、トピには関係ないことですな。
失礼いたしました。
これは メッセージ 127060 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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