Kmechan,さん
投稿者: kanzainin_yuo 投稿日時: 2001/08/01 01:30 投稿番号: [12518 / 203793]
>どこに書いているのか分からないのであれば、答えようがないです
高校の教科書でもいいから、ちゃんと通して読んでみれば?、経済発展は事実だ。
>経済が発展すれば相対的に国民生活が、向上するとは、簡単にはいえないと思います。
増加した富がどれだけ国民に行きわたるか
によって、違うと思います。
朝鮮に民族資本が台頭したんじゃないのかね?
具体的には?
マルクス史観ですべての歴史は語れないよ、底上げされれば、国民は豊かになる、ロシア、北朝鮮、貧富の差は最悪だぜ?しかも社会保障も貧弱だ。
>「その二は、朝鮮人に適度にパンを与うることであります。朝鮮の富は併合
以来非常に増加していますけれども、朝鮮の富が増加している割合には朝鮮人
の富は増設致しておりません。今日なお生活苦に呻吟しておるものが相当多数
存在致しております」
すばらしい、社会保障政策の決意表明ではないか、朝鮮人が生活苦で喘いでいるから、適度に社会保障政策を考えているのだろ。実力以上の過保護はしないということだ、ボランティアじゃないんだから。
>寿命が延びたかどうか分かりません
医療衛生制度の確立だよ。
「歪められた朝鮮総督府」 黄文雄 1998 光文社
伝染病問題は、朝鮮半島で飢饉以上に頻繁に発生した。飢饉に続いて、連鎖的に疫病が襲いかかった。もちろん、それは朝鮮半島に限らず、中国大陸においてもそうであった。朝鮮半島では、17世紀の中葉ごろから、平均2.6年に1回の割合で疫病が大流行した。趙珠氏の『19世紀韓国伝統社会の変貌と民衆意識』198ぺージ)によれば、17世紀の中葉ごろ〜19世紀の中葉の間に、年間10万人以上の死者を出した疫病が6回もあった。1749年の全国大疫病では、死者50万人以上とも記録されている。「民乱」や「倭乱」、「胡乱」といった戦争以上に、朝鮮半島の人命を奪ったのは、ほかならぬこの疫病の大流行であった。著名な自由主義者で、植民地論者の新渡戸稲造は、「植民地経営の要は、衛生の改善にある」という植民地論を展開したほどである。
醜い韓国人 朴泰赫」 1993 光文社
日本統治時代に入ってから、医療衛生制度も確立された。日本が韓国を統治したあいだの輝かしい成果の一つが、病幕(ビョンマク)の設置だった。日本統治時代に入ったころでも、腸チフスや、発疹チフス、赤痢、コレラ、痘瘡が猛威を振るったために、しばしば住民の一割ぐらいが病死した。それまでは予防医学の知識がまったくなかったので、伝染病による死者がでると、その家の井戸の上に筵(むしろ)をかけたうえで、厠(かわや)を焼き払った。厠は家の外につくられていた。
日本統治時代が始まると、村単位にそれぞれの村から離れたところに、伝染病患者を隔離する病舎をつくった。多くの場合は、そのような場所にあった貧しい家を買って、改装したものだった。
私が少年だったころには、通学路の途中に、道から150メートルほど離れた田園のなかに病舎があったので、子ども心に恐ろしく思ったものだった。多いときには、80人近くの病人が収容されていた。
しかし、病幕と国立、あるいは道立病院がつぎつぎと建てられるようになると、患者が隔離病棟に収容されるようになったので、伝染病は姿を消すようになった。私たちの村では病幕が、私が小学五年生になったときまであった。
>食えました。朝鮮人の主食は米です
「韓国・朝鮮と日本人」若槻泰雄
朝鮮農民が食料として『満州から粟を輸入した』というと、はなはだしく困窮化した状況を示すものとしてとられやすいが、北鮮ではもともと粟を食することが多く、米よりも雑穀の栽培面積のほうがずっと多かったのである。
高校の教科書でもいいから、ちゃんと通して読んでみれば?、経済発展は事実だ。
>経済が発展すれば相対的に国民生活が、向上するとは、簡単にはいえないと思います。
増加した富がどれだけ国民に行きわたるか
によって、違うと思います。
朝鮮に民族資本が台頭したんじゃないのかね?
具体的には?
マルクス史観ですべての歴史は語れないよ、底上げされれば、国民は豊かになる、ロシア、北朝鮮、貧富の差は最悪だぜ?しかも社会保障も貧弱だ。
>「その二は、朝鮮人に適度にパンを与うることであります。朝鮮の富は併合
以来非常に増加していますけれども、朝鮮の富が増加している割合には朝鮮人
の富は増設致しておりません。今日なお生活苦に呻吟しておるものが相当多数
存在致しております」
すばらしい、社会保障政策の決意表明ではないか、朝鮮人が生活苦で喘いでいるから、適度に社会保障政策を考えているのだろ。実力以上の過保護はしないということだ、ボランティアじゃないんだから。
>寿命が延びたかどうか分かりません
医療衛生制度の確立だよ。
「歪められた朝鮮総督府」 黄文雄 1998 光文社
伝染病問題は、朝鮮半島で飢饉以上に頻繁に発生した。飢饉に続いて、連鎖的に疫病が襲いかかった。もちろん、それは朝鮮半島に限らず、中国大陸においてもそうであった。朝鮮半島では、17世紀の中葉ごろから、平均2.6年に1回の割合で疫病が大流行した。趙珠氏の『19世紀韓国伝統社会の変貌と民衆意識』198ぺージ)によれば、17世紀の中葉ごろ〜19世紀の中葉の間に、年間10万人以上の死者を出した疫病が6回もあった。1749年の全国大疫病では、死者50万人以上とも記録されている。「民乱」や「倭乱」、「胡乱」といった戦争以上に、朝鮮半島の人命を奪ったのは、ほかならぬこの疫病の大流行であった。著名な自由主義者で、植民地論者の新渡戸稲造は、「植民地経営の要は、衛生の改善にある」という植民地論を展開したほどである。
醜い韓国人 朴泰赫」 1993 光文社
日本統治時代に入ってから、医療衛生制度も確立された。日本が韓国を統治したあいだの輝かしい成果の一つが、病幕(ビョンマク)の設置だった。日本統治時代に入ったころでも、腸チフスや、発疹チフス、赤痢、コレラ、痘瘡が猛威を振るったために、しばしば住民の一割ぐらいが病死した。それまでは予防医学の知識がまったくなかったので、伝染病による死者がでると、その家の井戸の上に筵(むしろ)をかけたうえで、厠(かわや)を焼き払った。厠は家の外につくられていた。
日本統治時代が始まると、村単位にそれぞれの村から離れたところに、伝染病患者を隔離する病舎をつくった。多くの場合は、そのような場所にあった貧しい家を買って、改装したものだった。
私が少年だったころには、通学路の途中に、道から150メートルほど離れた田園のなかに病舎があったので、子ども心に恐ろしく思ったものだった。多いときには、80人近くの病人が収容されていた。
しかし、病幕と国立、あるいは道立病院がつぎつぎと建てられるようになると、患者が隔離病棟に収容されるようになったので、伝染病は姿を消すようになった。私たちの村では病幕が、私が小学五年生になったときまであった。
>食えました。朝鮮人の主食は米です
「韓国・朝鮮と日本人」若槻泰雄
朝鮮農民が食料として『満州から粟を輸入した』というと、はなはだしく困窮化した状況を示すものとしてとられやすいが、北鮮ではもともと粟を食することが多く、米よりも雑穀の栽培面積のほうがずっと多かったのである。
これは メッセージ 12332 (Kmechan さん)への返信です.
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