北送事業1
投稿者: nihonnneko2001 投稿日時: 2002/12/30 20:30 投稿番号: [108663 / 203793]
引用します。
1959(昭和34)年12月、北朝鮮の清津港に、975名の日本からの帰国者を乗せた最初の船が到着した。その時の模様を、朝鮮中央通信社は「祖国同胞6万余が港に出迎う
歓迎のどよめき清津をうずめる」との大見出しで、こう伝えた。
市内から埠頭に致る通りの両側には、ながい歳月にわたるつらい異国での生活を打ち切って祖国に帰る父母や兄弟たちを歓迎するため5万余の歓迎群衆が長蛇の列をなしていた。埠頭には早朝から一万余名の歓迎群衆が立錐の余地なく雲集して、帰国同胞たちの到着を待ちわびていた。・・・ついに東海(JOG注:日本海)の青々とした水平線上に帰国船があらわれた。
・・・「金日成将軍の歌」と革命歌の大合唱がはじまった。帰国同胞たちの姿が船の甲板にみえだした。かれらも甲板にでて、共和国国旗をうちふりながらこの合唱に合流する
のであった。一瞬、あたり一面は歌声と万歳の声と天地をゆるがさんばかりの歓声でわきたった。
この船を最初に合計187便、93,339人が北朝鮮に帰国していった。朝鮮総連のスポークスマンとしてこの帰国運動を支えた張明秀は、著書「裏切られた楽土」[1]で、こう語っている。
「あれから40年近くになる今日、彼ら帰国者の安否を語ることは、総連では今でもタブーとされている。しかし、在日同胞のあいだでは、ずっと囁かれつづけてきた。彼ら
は「地上の楽園」の主人公としての、自由で生きがいのある生活を送るどころか、日本では想像もつかないような悲惨な状況に追い込まれているということを。[1,p72]
これは メッセージ 1 (retribution さん)への返信です.
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