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Re: >子供は野生児

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/12/22 13:54 投稿番号: [3986 / 7922]
牡丹鍋さんの「最近のゲーム感覚の犯罪」と、ゼエロくんの「子供は無邪気であるが故に恐ろしい…」の、日本と西洋・特亜との違いについて考えてみたいと思います。

新井白石の言葉は、「日本は、子供は親に、親は上司に、上司は殿様に、殿様は将軍に、将軍は天皇に、天皇は天に仕えて、順々に忠義を働くようになっている(つまり、儒教的、封建的身分秩序のことを述べています)。しかし、キリスト教は神の前の平等を説き、神への忠誠だけを求める。それでは日本社会は破壊される」というものです。
しかし、この儒教的、封建的身分秩序を取り除いても、日本社会は人が自然と教育されていく社会だと考えます。
というのは、尋問を受けたキリスト教の宣教師が、「中国人は最初はとっつきにくいが、しばらくすると理解できてくる。つまり、儒教という原理原則に即して考えていることが分かれば、理解できる。しかし、日本人は理解しにくい。儒教的な原理原則が存在せず、長く付き合っても理解できない所が多い」と中国人との違いを述べているからです。
新井白石の言葉も、日本社会は権力の強制によって作られた秩序ではなく、教育によって成り立っている社会秩序と考えるべきでしょう。

キリスト教や儒教は、道徳・行動基準を説くものです。
この原理原則に従って行動し、処罰を受ける。
ところが、処罰されるまでは基本的には自由です。
それは、社会のルールが教会・聖書・儒書や裁判所(権力)の中にあると考えるからです。
宗教・儒教や法律で縛らないと、バラバラになっていく社会です。

それに対して、日本社会のルールは、極端にいうと、共同体で自然と練り上がったものだと考えます。
そして、儒教を採用しても、法律を定めても、それは形式的、表現的なものであって、目に見えない日本人の心にルールが育っているんだろうと思います。
例えば、日本人の「和の心」の説明は、どこにも書かれていません。
つまり、日本人には聖書や法律に書かれていない行動基準がある、チュウことです。

また、日本文化の武士道であれ、剣道であれ、茶道であれ、道というのは、形・所作とともに大切なのが心です。
心のあり方が形・所作になって表れると考えるので、究極には心の鍛錬が重要視されます。

以上から、日本社会のルールは心の中に存在する内的規制装置であるのに対して、西洋の宗教・東洋の儒教のルールは人を制限する外的規制装置と考えます。
従って、社会ルールが内心化していない自由奔放な韓国人・中国人と接したとき、日本人は常にストレスを感じることでしょう。(笑)

そこで、最近のゲーム感覚の犯罪は、日本人として心にビンビン響く感受性が大きく欠落しているためだと思います。
西洋の教会や特亜の儒教的秩序が存在しない日本の無邪気な子供には、心のあり方を育てる(心の鍛錬を学ばせる)のが有効な犯罪を防止するシステムだと考えます。
従って、それをそうした文化のない韓国人に求めても、無理でしょう。
鞭で叩くのが一番でしょうか。(笑)
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