>横レス>>個人補償求 yakuruto1さん
投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/21 05:49 投稿番号: [564 / 3669]
>日本統治以前の両班による小作農民は全農民の8割
これの根拠を提出してください。
両班は開国前後からかなり没落し
良民が進出、奴婢においても両班となる奴婢も現れ、開港時期には奴婢事態大幅減少
中間層の常民が大幅に増加
両班、奴婢とも減少
甲午の改革により奴婢は廃止、これ以後奴婢という身分はありません。
朝鮮総督府が身分制度廃止したなどの意見もありますが、朝鮮総督府が身分制度に関してなにも命令していないと思いますが
日本人による土地収奪は開国と同時に始まり(法的に正当であっても)日清、日露の
日本の戦勝により、さらに進み土地調査事業により、国王の土地が総督府の所有これが東洋拓殖の土地と転売され、さらに
所有権が確定した結果さらに日本人地主の
土地となり朝鮮人農民は大半が小作農あるいは小作も出来ない火田民等となり、満州
や日本へ移住を余儀なくされた。
>日本の農業移民は、朝鮮半島農民の美田、良田を強奪するよりも
併合前後に三井、三菱等の財閥が大規模農場取得、それらは朝鮮の穀倉地帯をしめています。
強奪したかどうかですが、日本軍部、官憲が支配するなか、朝鮮人は発言できなかったでしょう。
>朝鮮半島の農民が一顧だにしなかった不毛の地の開墾や僻地の干拓を行なう者が多かった
一顧だにしなかった?
朝鮮農民は開国以後列強の進出により、
生活を維持するのが一杯でしょう。
荒地を開墾したのは確かに日本人でしたが
その結果さらに、日本人地主が増加し
朝鮮人にはなんら関係ないことであった。
>朝鮮の農民が現金収入を得たことを無視してはならない
米の売買の大半をしていた日本人商人が利益を上げたこと
常に朝鮮の米の価格は日本より安かった
>朝鮮の農民が現金収入を得たことを無視してはならない
朝鮮農民は収穫と同時に小作料、農機具代、水利料等に50%以上取られほとんど
残らなかった
>戦争中の食糧難の折り、内地におけると同様、強権をもって朝鮮の農民から米を供出させた事実はある。しかしこのことと
併合以後米の収穫高に関係なく日本へは増加の一途をたどっており、戦争末期には
朝鮮人は併合時の半分ぐらいに消費量は減少している。
日本人は1910年から1945年にかけ減少しているが、これほど大きな落ち込みはしていない。
>また朝鮮の農民は米を日本内地へ移出し、自らは粟を食べる結果になったということも、これ自体として非難に当たらない
では朝鮮農民は栗が主食であったというのか
ならそれなりの根拠をだして頂きたい
日本農民が米を食べれるのがお祭りの時だったからといって
朝鮮農民もそれが当たり前だと考える根拠は
朝鮮農民が自給自足だったとなにを根拠に言われるのか
開国以前に米は市場に出され市が立ち貨幣が流通し、手工業も発達し、船による、集荷や移動も行われ、商業も活発であったのに自給自作とは
自給自作を離れ余剰米がだったからこそ
商業も発達し、行商人も現れ漢城のような
大都市では店もあったではないですか
>高いものを売り、安いものを買い、その差額で食料以外のものを購入して生活水準を上げるという市場生産に参加する農民に脱皮したことを意味するのである
ほとんどの農民は手元に残らなかった
だから土地を持っているものは土地を売り
小作農に転落し
小作農は食えないから流民となり火田民あるいは、満州間島、日本へ移住となり
合計約2000万前後の朝鮮人の内。600万が
故郷を離れている。
>生活水準を上げるという市場生産に参加する農民に脱皮したことを意味するのである
このような農民はわずか少数であろう
このような人が親日派となっているのでは
ないですか
これの根拠を提出してください。
両班は開国前後からかなり没落し
良民が進出、奴婢においても両班となる奴婢も現れ、開港時期には奴婢事態大幅減少
中間層の常民が大幅に増加
両班、奴婢とも減少
甲午の改革により奴婢は廃止、これ以後奴婢という身分はありません。
朝鮮総督府が身分制度廃止したなどの意見もありますが、朝鮮総督府が身分制度に関してなにも命令していないと思いますが
日本人による土地収奪は開国と同時に始まり(法的に正当であっても)日清、日露の
日本の戦勝により、さらに進み土地調査事業により、国王の土地が総督府の所有これが東洋拓殖の土地と転売され、さらに
所有権が確定した結果さらに日本人地主の
土地となり朝鮮人農民は大半が小作農あるいは小作も出来ない火田民等となり、満州
や日本へ移住を余儀なくされた。
>日本の農業移民は、朝鮮半島農民の美田、良田を強奪するよりも
併合前後に三井、三菱等の財閥が大規模農場取得、それらは朝鮮の穀倉地帯をしめています。
強奪したかどうかですが、日本軍部、官憲が支配するなか、朝鮮人は発言できなかったでしょう。
>朝鮮半島の農民が一顧だにしなかった不毛の地の開墾や僻地の干拓を行なう者が多かった
一顧だにしなかった?
朝鮮農民は開国以後列強の進出により、
生活を維持するのが一杯でしょう。
荒地を開墾したのは確かに日本人でしたが
その結果さらに、日本人地主が増加し
朝鮮人にはなんら関係ないことであった。
>朝鮮の農民が現金収入を得たことを無視してはならない
米の売買の大半をしていた日本人商人が利益を上げたこと
常に朝鮮の米の価格は日本より安かった
>朝鮮の農民が現金収入を得たことを無視してはならない
朝鮮農民は収穫と同時に小作料、農機具代、水利料等に50%以上取られほとんど
残らなかった
>戦争中の食糧難の折り、内地におけると同様、強権をもって朝鮮の農民から米を供出させた事実はある。しかしこのことと
併合以後米の収穫高に関係なく日本へは増加の一途をたどっており、戦争末期には
朝鮮人は併合時の半分ぐらいに消費量は減少している。
日本人は1910年から1945年にかけ減少しているが、これほど大きな落ち込みはしていない。
>また朝鮮の農民は米を日本内地へ移出し、自らは粟を食べる結果になったということも、これ自体として非難に当たらない
では朝鮮農民は栗が主食であったというのか
ならそれなりの根拠をだして頂きたい
日本農民が米を食べれるのがお祭りの時だったからといって
朝鮮農民もそれが当たり前だと考える根拠は
朝鮮農民が自給自足だったとなにを根拠に言われるのか
開国以前に米は市場に出され市が立ち貨幣が流通し、手工業も発達し、船による、集荷や移動も行われ、商業も活発であったのに自給自作とは
自給自作を離れ余剰米がだったからこそ
商業も発達し、行商人も現れ漢城のような
大都市では店もあったではないですか
>高いものを売り、安いものを買い、その差額で食料以外のものを購入して生活水準を上げるという市場生産に参加する農民に脱皮したことを意味するのである
ほとんどの農民は手元に残らなかった
だから土地を持っているものは土地を売り
小作農に転落し
小作農は食えないから流民となり火田民あるいは、満州間島、日本へ移住となり
合計約2000万前後の朝鮮人の内。600万が
故郷を離れている。
>生活水準を上げるという市場生産に参加する農民に脱皮したことを意味するのである
このような農民はわずか少数であろう
このような人が親日派となっているのでは
ないですか
これは メッセージ 557 (yakuruto1 さん)への返信です.
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