Re: 李明博自伝
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2008/11/30 17:47 投稿番号: [3471 / 3669]
>但し、少し引っ掛かる記述を発見したので現在裏をとるべく調査中です。
で、調査してきました。
▲李明博一家の帰国経路についての疑義
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1978784
李明博大統領が1995年に著した「李明博自伝(原題「神話はない」)の第2章冒頭には、このような記述がある。
日本の植民地支配から解放された直後の一九四五年十一月、私たち八人の家族は日本の大阪で荷造りをした。アボジ(父)とオモニ(母)、長姉の貴善、長兄の相殷、二男の相得、二女の姉の貴愛、そして私、妹の貴粉の大家族は下関港から釜山へ向かう臨時旅客船に乗った。
(中略)
しかし、韓国人をいっぱいに乗せた帰国船は、対馬の沖合いで沈没してしまった。人々は全員救助されたが、持っていた荷物などは船とともに海のもくずとなってしまった。(日本語版40・41ページ)
私はこの部分を読んで不審に考えた。まず、1945年11月の時点で連合軍最高司令部(GHQ)の指令監督を受けて日本政府が下関・釜山間に朝鮮_人の送還船を運航していたのは事実である。但し、その任務に就いていた船舶で沈没したものがあったとは寡聞にして聞かないのである。
1945年11月の新聞(東京版朝日・大阪版朝日・東京版毎日・大阪版毎日・読売報知)を調べてみたが、それらしい記事は見当たらなかった。いくら終戦直後の混乱期であったとはいえ、船舶事故程度では記事にならなかったというわけではない。(以下、11月の触雷等による海難事故の新聞記事を掲載)
つまり、自伝にあるように下関発の送還船が沈没したという事実は存在しないと考える。但し、正規の送還船でない、すなわち密航船であれば、斯かる事故が存在したという可能性はあり得る。これを言い換えれば、下関発の正規送還船に乗ったというのが真であるなら、送還船が沈没したというのは偽となり、送還船が沈没したというのが真であるなら、送還船が正規のものであるというのは偽となり得る。
以上のようにまわりくどく見てきたが、このような新聞記事があった。まぁ、ご存知の方も多いかと思うが。
中央日報
日本の牧場で生まれた李明博大統領 …その②
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=96608&servcode=A00%C2%A7code=A10
李大統領の家族は1945年の解放を受け、韓国に帰った。李大統領の姉イ・キソンさんは「解放後、10月ごろ、家族は名古屋付近の港から密航船に乗って韓国に帰ってきた」と明らかにした。
キソンさんは密航船に乗らざるをえなかった理由について「韓国と日本を行き来する定期船に乗った場合、日本で築いた全財産が押収される可能性があったから」と説明した。
密航船で故国に帰ってきた李大統領の家族は対馬付近で船が難破したことで全財産を失い、命だけは何とか助かった。 キソンさんは「対馬沖が大阪での追憶をのみ込んだ」と表現した。
姉のイ・キソン(自伝で「長姉の貴善」と表記されている人物であろう)の証言である。正規の送還船ではなく「密航船」と言っているが、念のためにこの時期に名古屋付近から正規の送還船が出航していたかどうかを確認してみることにする。
10月であれ11月であれ、この時期の朝鮮_人送還についてはGHQの指示監督下にあったことは言うまでもない。よってGHQの日本政府への指令であるSCAPINを調べるのが確実である。
(送還船に関するSCAPIN224)
名古屋から送還船を出すようには規定されていない。つまり名古屋付近から正規の送還船が出航する可能性は限りなく低い。もし、規定された港湾以外の地域から特別に送還船の運航を行ったのであれば、その旨を指示するGHQ指令が発出されているはずであるが、該当するSCAPINは見当たらない。よって李明博一家が名古屋付近から乗船したのは密航船であるという証言は事実であると言っていい。
要するに、李明博は自伝に於て事実ならざる記述をしたと解釈するのが妥当であると私は考える
で、調査してきました。
▲李明博一家の帰国経路についての疑義
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1978784
李明博大統領が1995年に著した「李明博自伝(原題「神話はない」)の第2章冒頭には、このような記述がある。
日本の植民地支配から解放された直後の一九四五年十一月、私たち八人の家族は日本の大阪で荷造りをした。アボジ(父)とオモニ(母)、長姉の貴善、長兄の相殷、二男の相得、二女の姉の貴愛、そして私、妹の貴粉の大家族は下関港から釜山へ向かう臨時旅客船に乗った。
(中略)
しかし、韓国人をいっぱいに乗せた帰国船は、対馬の沖合いで沈没してしまった。人々は全員救助されたが、持っていた荷物などは船とともに海のもくずとなってしまった。(日本語版40・41ページ)
私はこの部分を読んで不審に考えた。まず、1945年11月の時点で連合軍最高司令部(GHQ)の指令監督を受けて日本政府が下関・釜山間に朝鮮_人の送還船を運航していたのは事実である。但し、その任務に就いていた船舶で沈没したものがあったとは寡聞にして聞かないのである。
1945年11月の新聞(東京版朝日・大阪版朝日・東京版毎日・大阪版毎日・読売報知)を調べてみたが、それらしい記事は見当たらなかった。いくら終戦直後の混乱期であったとはいえ、船舶事故程度では記事にならなかったというわけではない。(以下、11月の触雷等による海難事故の新聞記事を掲載)
つまり、自伝にあるように下関発の送還船が沈没したという事実は存在しないと考える。但し、正規の送還船でない、すなわち密航船であれば、斯かる事故が存在したという可能性はあり得る。これを言い換えれば、下関発の正規送還船に乗ったというのが真であるなら、送還船が沈没したというのは偽となり、送還船が沈没したというのが真であるなら、送還船が正規のものであるというのは偽となり得る。
以上のようにまわりくどく見てきたが、このような新聞記事があった。まぁ、ご存知の方も多いかと思うが。
中央日報
日本の牧場で生まれた李明博大統領 …その②
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=96608&servcode=A00%C2%A7code=A10
李大統領の家族は1945年の解放を受け、韓国に帰った。李大統領の姉イ・キソンさんは「解放後、10月ごろ、家族は名古屋付近の港から密航船に乗って韓国に帰ってきた」と明らかにした。
キソンさんは密航船に乗らざるをえなかった理由について「韓国と日本を行き来する定期船に乗った場合、日本で築いた全財産が押収される可能性があったから」と説明した。
密航船で故国に帰ってきた李大統領の家族は対馬付近で船が難破したことで全財産を失い、命だけは何とか助かった。 キソンさんは「対馬沖が大阪での追憶をのみ込んだ」と表現した。
姉のイ・キソン(自伝で「長姉の貴善」と表記されている人物であろう)の証言である。正規の送還船ではなく「密航船」と言っているが、念のためにこの時期に名古屋付近から正規の送還船が出航していたかどうかを確認してみることにする。
10月であれ11月であれ、この時期の朝鮮_人送還についてはGHQの指示監督下にあったことは言うまでもない。よってGHQの日本政府への指令であるSCAPINを調べるのが確実である。
(送還船に関するSCAPIN224)
名古屋から送還船を出すようには規定されていない。つまり名古屋付近から正規の送還船が出航する可能性は限りなく低い。もし、規定された港湾以外の地域から特別に送還船の運航を行ったのであれば、その旨を指示するGHQ指令が発出されているはずであるが、該当するSCAPINは見当たらない。よって李明博一家が名古屋付近から乗船したのは密航船であるという証言は事実であると言っていい。
要するに、李明博は自伝に於て事実ならざる記述をしたと解釈するのが妥当であると私は考える
これは メッセージ 3460 (toapanlang さん)への返信です.
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