「日韓」見つめる3つの個
投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/10/11 23:40 投稿番号: [3262 / 3669]
自伝や往復書簡の形式で、日韓の関係を見つめ直す本が相次いで出版された。書き手はいずれも女性。政治的、歴史的な事実を踏まえながらも、個人と個人の細やかな共感に基づき、日韓関係の今後を展望する視点が共通する。(浪川知子)
森崎 問い続ける「私は何もの」
植民地時代の朝鮮で生まれ育った作家の森崎和江さん(80)は、『草の上の舞踏 日本と朝鮮半島の間に生きて』(藤原書店)で、戦後の韓国を何度も訪ねては自らの軌跡を問い直す過程を描いた。
「幼いころから朝鮮半島の風土をむさぼり愛した」と書く森崎さんは日本人だが、半島の文化や風土が血肉にしみ込んでいることを深く自覚している。
亡父が初代校長を務めた慶州中高等学校で1968年に行われた開校30周年記念式典に父に代わって招待された森崎さんは、かつての教え子たちから父がいかに敬愛されていたかを知る。だが、それでも宗主国側の人間だったという原罪意識は消えない。本書は、「朝鮮で感受性を養われた日本人の私とは何ものか」という問いに貫かれている。
玄 たどり着いた「祖国は世界」
森崎さんとは逆に、日本に生まれた韓国・朝鮮人にとっても、「私は何ものか」という問いは重くのしかかってくる。7月に亡くなった作家の小田実さんの妻で画家の玄順恵(ヒョンスンヒェ)さん(54)は『私の祖国は世界です』(岩波書店)で、結婚後、中国、西ドイツ(当時)、アメリカなどに移り住むたび、国境の見えない壁を強く意識した体験を書いている。
当時朝鮮籍だった玄さんにはパスポートはなく、日本国法務省が発行する「再入国許可書」が唯一の身分証明。海外でビザを取得するためには、相手国の領事館担当者を相手に、口頭で自己証明を行うしかなかった。
「『コリアン・ボーン・イン・ジャパン(日本で生まれた朝鮮人)』と説明すると、必ず『それは何か』と聞き返されました。植民地時代の両親の話から始め、『朝鮮籍』とは何かを説明した。おのずと国家と個人の関係や、国境の意味を意識せざるを得なかった」
それが「祖国は世界」という開かれた認識につながった。玄さんは近年、海外で一人旅をする日本人女性が増えているのを見て、心強く感じるという。
「彼女たちの世代なら、『私の祖国は世界だ』と無理なく言える瞬間があるはず。それが多いほど、人と人、国と国が理解し合いやすくなる。誰でもそこへたどり着けるんです」
津島 顔が見えれば共感できる
個人と個人のつながりを重視するのは、作家の津島佑子さん(60)も同じだ。津島さんは韓国の女性作家、申京淑(シンギョンスク)さんと、1年間交わした往復書簡を『山のある家 井戸のある家』(集英社)として出した。二人の作家が文学や家族、故郷について語り、共感を深めていくのがわかる。
津島さんは「私と申さんのつながりは一例に過ぎないけれど、顔の見える個人同士がもっと知り合えば変わってくる。肩書や体面のない女性の方が、国家の枠を軽々と乗り越えられるのかもしれません」と語る。
「心理的には最も遠い」といわれる時代の長かった日韓両国。人の移動が容易になった現代、これらの著作が新たな関係を築く端緒となってほしい。
(2007年10月2日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20071002bk04.htm
森崎 問い続ける「私は何もの」
植民地時代の朝鮮で生まれ育った作家の森崎和江さん(80)は、『草の上の舞踏 日本と朝鮮半島の間に生きて』(藤原書店)で、戦後の韓国を何度も訪ねては自らの軌跡を問い直す過程を描いた。
「幼いころから朝鮮半島の風土をむさぼり愛した」と書く森崎さんは日本人だが、半島の文化や風土が血肉にしみ込んでいることを深く自覚している。
亡父が初代校長を務めた慶州中高等学校で1968年に行われた開校30周年記念式典に父に代わって招待された森崎さんは、かつての教え子たちから父がいかに敬愛されていたかを知る。だが、それでも宗主国側の人間だったという原罪意識は消えない。本書は、「朝鮮で感受性を養われた日本人の私とは何ものか」という問いに貫かれている。
玄 たどり着いた「祖国は世界」
森崎さんとは逆に、日本に生まれた韓国・朝鮮人にとっても、「私は何ものか」という問いは重くのしかかってくる。7月に亡くなった作家の小田実さんの妻で画家の玄順恵(ヒョンスンヒェ)さん(54)は『私の祖国は世界です』(岩波書店)で、結婚後、中国、西ドイツ(当時)、アメリカなどに移り住むたび、国境の見えない壁を強く意識した体験を書いている。
当時朝鮮籍だった玄さんにはパスポートはなく、日本国法務省が発行する「再入国許可書」が唯一の身分証明。海外でビザを取得するためには、相手国の領事館担当者を相手に、口頭で自己証明を行うしかなかった。
「『コリアン・ボーン・イン・ジャパン(日本で生まれた朝鮮人)』と説明すると、必ず『それは何か』と聞き返されました。植民地時代の両親の話から始め、『朝鮮籍』とは何かを説明した。おのずと国家と個人の関係や、国境の意味を意識せざるを得なかった」
それが「祖国は世界」という開かれた認識につながった。玄さんは近年、海外で一人旅をする日本人女性が増えているのを見て、心強く感じるという。
「彼女たちの世代なら、『私の祖国は世界だ』と無理なく言える瞬間があるはず。それが多いほど、人と人、国と国が理解し合いやすくなる。誰でもそこへたどり着けるんです」
津島 顔が見えれば共感できる
個人と個人のつながりを重視するのは、作家の津島佑子さん(60)も同じだ。津島さんは韓国の女性作家、申京淑(シンギョンスク)さんと、1年間交わした往復書簡を『山のある家 井戸のある家』(集英社)として出した。二人の作家が文学や家族、故郷について語り、共感を深めていくのがわかる。
津島さんは「私と申さんのつながりは一例に過ぎないけれど、顔の見える個人同士がもっと知り合えば変わってくる。肩書や体面のない女性の方が、国家の枠を軽々と乗り越えられるのかもしれません」と語る。
「心理的には最も遠い」といわれる時代の長かった日韓両国。人の移動が容易になった現代、これらの著作が新たな関係を築く端緒となってほしい。
(2007年10月2日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20071002bk04.htm
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