併合の決定は
投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/05/25 05:58 投稿番号: [2795 / 3669]
併合の決定は一進会が合併を主張する前に閣議決定され明治天皇の裁可も
おりており伊藤博文が暗殺されるまえに併合は決まっていた。
だから伊藤が暗殺されて併合が進んだというのは間違い
1905年7月27日桂伯爵とアメリカ陸軍長官タフトとの会談で朝鮮を日本が宗主国となることをアメリカに求めアメリカは了承した。
この結果日本は併合へと動き出します。
1909年7月6日閣議決定
同日明治天皇裁可
倉知鉄吉(前外務次官)の覚書(1913年に書かれたもの)より
「自分は韓国が全然廃城に帰して帝国領土の一部となるの意を明かにすると同時に、其語調の余りにかげきならざる文字を選ばんと欲し,種々苦慮したるも遂に適当の文字を発見すること能はず、因で当時未だ一般にもちいられ居
らざる文字を選ぶ方得策と認め、併合なる文字を前期文書に用いたり。」
「併合の方法順序等の細目を小村外相より起訴案の立案を命ぜられ自分の考えも付加して外相の考慮を請い、更に外相の意見に依り基礎案を作れり。
外相はこの基礎案を桂首相、伊藤博文にも提出
伊藤博文は「否細まい方のことなり」といいたる
この後伊藤は満州へ行き暗殺されるから
暗殺が原因で併合したというのは間違いです。
桂首相、山県有朋、小村外相などにより併合計画はすすめられていた。
だから反対派の伊藤が暗殺されたのはかえって都合がよかったかも
一進会の合併発表は1909年12月4日
だから併合の閣議決定、明治天皇の裁可の後に一進会の合併発表がされているから朝鮮人が併合を言い出し併合したとの説は間違いです。
山辺
健太朗著(岩波新書)「日韓併合小史」より
これは メッセージ 2787 (toapanlang さん)への返信です.
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