◆コリア関連書籍◆

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

「ダカーポ」533 日本と韓国と北朝鮮②

投稿者: kdm0709 投稿日時: 2004/03/06 23:16 投稿番号: [1905 / 3669]
  なぜ私は日本人死刑囚として裁かれたのか
                                            李鶴來(79歳)
                                            元BC級戦犯死刑囚

  1942年、李さんは2年契約の軍属として南方の俘虜監視員に徴用された。李さんたちは最初、釜山に集められ、訓練として初年兵教育を受けた。
「天皇に忠誠を誓う軍人勅諭や、上官への絶対服従を学びました。お前たち朝鮮人を立派な日本人にしてやる、とビンタをたたかれない日はなかった。一番嫌だたのは、仲間同士の対向ビンタ。何の憎しみもない者同士、顔が腫れるまで殴り合うのです」
  訓練を終えた後、李さんは泰緬鉄道建設のため、タイの俘虜収容所に配属された。
「俘虜は英国人、オランダ人や豪州人がいました。医療設備もない未開のジャングルでの労働で、初めは元気だった俘虜もだんだん半病人のようになりました。雨期にはさらに過酷な状況で、病気になると死んでいくしかなかった」
  李さんはバンコクの収容所本部で終戦の日を迎えた。契約の2年は1年以上過ぎていた。やっと解放されると思った矢先、俘虜虐待の戦犯容疑者としてタイの刑務所に入れられてしまう。
「時には規律を違反した捕虜にビンタを張ったことはありましたが、日本軍の教育ではそれが当たり前で虐待とは思わなかった。でも習慣の異なる欧米人にとってビンタは屈辱だったのです」
  そして、悪条件の重労働で死んでいく仲間を目の前にした俘虜の恨みは、李さんたち朝鮮人監視員に向けられた。46年、李さんたちはシンガポールのチャンギー刑務所に送られ、飢餓状態で殴る蹴るの暴行を繰り返し受けたという。そして待っていたのは死刑の宣告だった。
「仲間の多数が死刑の宣告を受け、23人が処刑、125人が有無期刑に処された。刑務所の中で、私は死んでいく理由を見つけることができませんでした。日本人戦犯は自国のために死ぬという拠り所や諦めもあったでしょう。また、命をかけて抗日運動をした同胞がたくさんいるのに、私はなぜ戦争に加担し、死刑にならねばならんのか、と悩みました。家族のことも心配でした。戦犯の家族に対する周りの目は実に冷たいもので、仲間の奥さんは耐え切れず投身自殺をしました」
  その後、李さんは減刑され巣鴨刑務所に移管、56年に仮釈放され、日本社会に放り出された。
  軍属として働き日本軍戦犯として服役した李さんたちは、戦後、日本国籍を喪失させられた。そして現在まで日本政府は、国籍が違うので援護や補償はできないとして沈黙を続けている。

「立派な日本人にしてやる」に象徴されるイルボンの朝鮮統治理念の本質がこれでよう解かったやろ?な?赤城よ。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)