「ダカーポ」533 日本と韓国と北朝鮮
投稿者: kdm0709 投稿日時: 2004/03/05 22:04 投稿番号: [1898 / 3669]
朝鮮のエリート青年の日帝36年とは
皇帝直属の漢医者を父に持つ尹さんは仁川商業学校に進学。
「生徒の半分は日本人でした。日本人は2倍、朝鮮人は7倍の倍率で入学してきたから、朝鮮人の方が頭の良い優等生が集まっていました」
学校では日本人教師の家に泊まるなど、朝鮮人も日本人も比較的友好的だったが、独立への意識はこうしたエリート学生たちの間にも広まった。
「仁川は、抗日運動をした人たちが強制労働させられたり外国へ旅立った港町ですから、独立の意識の高い町なんです。私たちも独立運動の集まりに数回参加しました。大したことはしてないんだけど、みんな検挙されて、6人が退学、1人が留年になった。私は減点処分ですんだ。その後は、盗聴事件などの度に調べられるようになりました。そういう中でも、教師がかばってくれて許されたこともある。日本人でもいい人間はいたんですよ」
学生時代、尹さんは学徒動員で、仁川の造兵厰で働いた。2万人が働く巨大な軍需工場だ。
「朝鮮人はほとんどが肉体労働で、私が働いていた事務職にはほとんどいなかった。私の課には日本人の女性ばかり50人くらいいて、若い独身の朝鮮人男性が来たのだから、ずいぶん人気がありましたよ。私のボタンが取れると、みんなで競って付けてくれたりね。兵器を造る工場ですから、特別に待遇のよい場所ではあったんです」
尹さんはエリートとして恵まれた職場で働いていた。しかしそれでも、日本の敗戦の日は喜びでいっぱいだったという。
「玉音放送は京城で聴いていたけれど、よく聞き取れない。その日の夕方に日本が降伏したという噂が飛んで、独立運動をした囚人たちがみんな釈放された。目抜き通りは人があふれて、電車の上まで人が乗っていました。私も群集に混じってマンセーを叫び旗を振りましたよ」
植民地時代を振り返り、尹さんは言う。「36年も一緒にいたのに、日本人がキムチを食べたり朝鮮人がタクワンを食べたりすることはなかった。日本人が裸足で下駄を履くのは野蛮、朝鮮人は風呂にあまり入らないから汚い、と互いに軽蔑し合った。しかし今の両国間の交流はすごいですね。両民族の触れ合いが、やっと今始まったのでしょう」
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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