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陶工の話

投稿者: bosintang 投稿日時: 2004/11/04 16:46 投稿番号: [47 / 2503]
本からの引用ですが。


  柳宗悦は朝鮮の陶磁器の芸術性を高く評価し,当時の日本に紹介した人物であるが,朝鮮の陶磁器を調べるうちに,かつて豊臣秀吉や多くの日本の茶人が美とした「井戸」「熊川」などの茶碗が全く李朝の庶民の飯茶碗であり,朝鮮では全く評価されていないという事実につきあたった。
  「それは貧乏人が普段ざつに使う茶碗である」「全くの下手物である。典型的な雑器である」(『喜左衛門井戸を見る』)とまで宗悦の言い切る李朝茶碗は,日本で美であり,朝鮮では全く美ではなかった。したがって庶民は戦後生活が豊かになるにつれ,陶磁器の飯茶碗を捨て,彼らにとってはより美しいもの,光る金属の器へと什器を変えていったのである。

  文禄,慶長の役の際日本が名陶工を日本に連れ去ったため,韓国の陶磁器の伝統が絶えたと解するのが,今日の韓国人の一般的見解である。しかし,当時の李朝社会で,彼ら陶工達がどのような地位,境遇にあったか,それは実は当の韓国人の方がよく知っているはずなのである。陶工は他の諸般の職人同様,当時の李朝社会では賤民扱いであった。俗に「八賤」と言い,普通,奴婢,僧侶,白丁(屠殺業,柳細工人),巫女,広大(旅芸人),喪輿(葬儀屋),姓生,工匠(職人)というのがそれである。日本人にとってはこの中の僧侶と工匠が訝しい。僧侶は排仏崇儒の末に賤民待遇に落とされたのだが,職人も賤民扱いであったことを忘れてはならない。これは李朝社会の構造に起因する。当時の李朝では俗に優秀なる技術を有する職人が出ると,その地方は疲弊するとまで言われていた。というのも,官吏の上納品,つまり特産の貢物として指定されると,止まるところを知らずソウルへの献進を強要されたからである。官家の上納の過虐にたえかね,ついに右手を断って免れた名刀工担才の子の逸話はこの事情をよく物語っている。職人が職人ゆえに賤民とされるのも,特産貢物の上納指定を嫌った地域民の圧力によるところが大きい。
  こうした状況で陶工達はただひたすら百姓の日用の飯茶碗を作り続けた。ここに文禄,慶長期に日本人が侵入したわけである。日本は当時太守さえ食事は木器の碗,庶民は木器や須恵器という段階だったので,朝鮮の陶器の飯茶碗をみて実に感動した。別に名陶工を選んでひっぱっていったわけではない。名陶工など知るはずもない。ただ飯茶碗づくりの住民を適当に連れて行った。根こそぎ連れて行けるわけもない。一部を連れて行って,日本はこれを厚遇した。田畑を与え,士分に取り立て,ひたすら技術を磨かせた。埋もれるべき社会状況から離れ,日本人好みの美意識と陶磁器への憧れが素材に合致し,原石が日本で光ったのである。事実はそれだけである。

古田博司『ソウルという異郷で』(人間の科学社1988)
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