宗主国さまのみち 11
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/08/28 15:13 投稿番号: [9615 / 19672]
龍亭を出て、そのまま大通りを南へあるいた。
宋都御街というなんということもない通りなのであるが、夜になると屋台がならんでにぎやかな夜市がひらかれる。開封いちばんの名物であり、中国全土でも指折りの夜市であるらしい。
「まだ時間もありますので、鉄塔にいきましょう」
許氏はそういってタクシーをつかまえた。
鉄塔とは宋代に建立された十三層の仏塔であり、鉄やガラスを混入した煉瓦で建てられているため、遠目にはまるで鉄の塔にみえることに由来している。
鉄塔公園のなかはひろく、多くの建物や庭園がある。
「なによ、これー!!」
園内の標示板をみていたチャングムがすっとんきょうな声をあげた。標示をみると、
「盆景苑」
と書いてある。植物を配した庭園なのであろう。だが、チャングムの目はその表記の下にかかれた英語表記に吸いついている。なんと、
「BONSAI GARDEN」
とあるではないか。
「どうしてボンサイが英語なのよ。もの知らずにもほどがあるわ」
がんらい植物を配して景観を構成して愛でるという習慣は英語圏にはなく、したがってそれをあらわす言葉もないのだが、それをよいことに日本語のボンサイがそのまま英語としてまかりとおっているのである。
「イルボンがまたロビーでやらかしたのね」
チャングムの怒りももっともである。韓半島の木をきり尽くした日本に緑を愛でる文化がめばえるはずはなく、盆栽も韓半島からぬすんだか奪ったかにちがいない。
そういった後ろめたさがあるため、世界に工作してボンサイを英語にすることで、盆栽は日本起源だと強弁しようというのであろう。
宋代には仏教がまだ力をもっていた。座禅のように個人の修養と鍛錬を重視する質素簡朴な禅宗がおこったのは、浮華と豪勢さをこのむ中華文化にあってはきわめてめずらしいことといっていい。
そのころのウリナラはといえば、やはり仏教を重視した高麗の時代であった。しかしこの鉄塔のような文物はほとんど残っていない。倭乱のさい、豊臣秀吉軍がすべて焼きはらったのである。
「しかし韓半島の山奥までもわけ入って、ひとつ残らず焼く理由も時間もあったのでしょうか」
朴やんが首をかしげたが、理由ならある。
百済が倭に仏教を伝えてやったのだが、倭の貧弱な技術力では四天王寺の建立もでき
なかったため百済の技術者に懇願してようやく建立したのだが、こういった韓半島との落差はながく劣等感として受けつがれた。
その劣等感をうち消すためウリナラのすぐれた文物を消滅させようとしたのである。ぬすむにしろ焼くにしろ、イルボンの伝統的なやりくちであった。
宋都御街というなんということもない通りなのであるが、夜になると屋台がならんでにぎやかな夜市がひらかれる。開封いちばんの名物であり、中国全土でも指折りの夜市であるらしい。
「まだ時間もありますので、鉄塔にいきましょう」
許氏はそういってタクシーをつかまえた。
鉄塔とは宋代に建立された十三層の仏塔であり、鉄やガラスを混入した煉瓦で建てられているため、遠目にはまるで鉄の塔にみえることに由来している。
鉄塔公園のなかはひろく、多くの建物や庭園がある。
「なによ、これー!!」
園内の標示板をみていたチャングムがすっとんきょうな声をあげた。標示をみると、
「盆景苑」
と書いてある。植物を配した庭園なのであろう。だが、チャングムの目はその表記の下にかかれた英語表記に吸いついている。なんと、
「BONSAI GARDEN」
とあるではないか。
「どうしてボンサイが英語なのよ。もの知らずにもほどがあるわ」
がんらい植物を配して景観を構成して愛でるという習慣は英語圏にはなく、したがってそれをあらわす言葉もないのだが、それをよいことに日本語のボンサイがそのまま英語としてまかりとおっているのである。
「イルボンがまたロビーでやらかしたのね」
チャングムの怒りももっともである。韓半島の木をきり尽くした日本に緑を愛でる文化がめばえるはずはなく、盆栽も韓半島からぬすんだか奪ったかにちがいない。
そういった後ろめたさがあるため、世界に工作してボンサイを英語にすることで、盆栽は日本起源だと強弁しようというのであろう。
宋代には仏教がまだ力をもっていた。座禅のように個人の修養と鍛錬を重視する質素簡朴な禅宗がおこったのは、浮華と豪勢さをこのむ中華文化にあってはきわめてめずらしいことといっていい。
そのころのウリナラはといえば、やはり仏教を重視した高麗の時代であった。しかしこの鉄塔のような文物はほとんど残っていない。倭乱のさい、豊臣秀吉軍がすべて焼きはらったのである。
「しかし韓半島の山奥までもわけ入って、ひとつ残らず焼く理由も時間もあったのでしょうか」
朴やんが首をかしげたが、理由ならある。
百済が倭に仏教を伝えてやったのだが、倭の貧弱な技術力では四天王寺の建立もでき
なかったため百済の技術者に懇願してようやく建立したのだが、こういった韓半島との落差はながく劣等感として受けつがれた。
その劣等感をうち消すためウリナラのすぐれた文物を消滅させようとしたのである。ぬすむにしろ焼くにしろ、イルボンの伝統的なやりくちであった。
これは メッセージ 9607 (toapanlang さん)への返信です.
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