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宗主国さまのみち 7

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/08/23 20:17 投稿番号: [9545 / 19672]
  地道を四十分ほど走ると、右手になにやら看板がみえた。
「官渡古戦場入口、ですね」
  あいかわらず朴やんは目がいい。

  後漢のすえ、天下は乱れ群雄が中原の鹿を追ってあらそった。『三国演義』の時代であるのだが、その前半の転換点のひとつが、河南の曹操と河北の袁紹がたたかった
「官渡の戦い」
  であった。
  袁紹軍は七十万であるのに対して曹操軍は七万でしかなかった(兵数については諸説あるがここではおく)。結局は曹操がみずから寡兵をひきいて袁紹の兵糧集積所であった烏巣を焼いて大勝するのだが、それに先だって袁紹麾下の猛将である文醜を斬ったのがこのあたりであった。
  曹操は乱世の奸雄とよばれその譎詐奸謀はつとに知られていた。この戦いでも文醜軍の接近に驚きあわてて逃げたふうをよそおい、武具や馬などを捨てて退却した。文醜軍の兵士はそれらを拾おうとして隊伍がみだれた。
  そこに曹操軍の伏兵が一斉に襲いかかった。兵の統率が取れないまま文醜軍は四散し、乱戦のなかで文醜は戦死した。『三国演義』では、やはり袁紹麾下の猛将で義兄の顔良とおなじように関羽に斬られたことになっているが、事実はちがう。なにごとにも誇張とうそを塗りこめたがる中国人らしい脚色であろう。

  シナ大陸を中原というが、このあたりはその中心地であり、もっともはやく文化がひらけていたため、人間の質もすれているという。
「河南人は悪人が多いといわれます」
  許氏が苦笑した。かれは開封に生まれそだったきっすいの河南人であるのだが、他の省では河南人がこすい商売や詐欺などをよくはたらくためそういわれるらしい。曹操も河南人の特徴を体現したような悪い意味で頭のきれる人物であったのだろう。

  このように詐略にみちた曹操のたてた魏がどのようなものであったかは想像にあまりある。先にのべたように魏とはウリミンジョクのたてた国であるのだが、それにあやかって国名をつけたことはウリナラを宗主国としてあがめたことであり、かれの自尊心のなさと卑屈さとをものがたるものであった。つまりは事大根性であろう。
  そのくせ、魏は文化宗主国である韓半島を侵略しようとした。忘恩不義を地でゆくものであった。魏の将軍であるカン[毋の右下が飛び出していない字]丘倹は高句麗を侵略し、司馬懿はウリミンジョクの友邦であった遼東の公孫淵をほろぼした。

  しかし、忘恩不義をいうならもっとひどい者もいたという。主人である公孫淵の危機に対してたすけようとしなかったやからがいるのである。
  その名を卑弥呼という。
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