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宗主国さまのみち 1

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/08/21 20:49 投稿番号: [9490 / 19672]
  古来、ウリナラは中華文明をおもんじてきた。
  それも、ウリミンジョクがすぐれた文明をもっていたにもかかわらず、半万年も前から礼をつくしてつきあってきたといっていい。
  たしかに中華の文明はきらびやかであった。とはいえ、なまの支那人というものは聖人君子ではなかった。その多くはえげつないばかりにあぶらぎっており、君子というよりむしろ盗賊にちかいものであった。
  聖人たちの多くもけっして円満でもの静かな者ではなかった。書物などを通して遠くからながめているだけならともかく、もし親戚か友達にいたならへきえきするほどに強烈な個性のもちぬしが多かった。
  極端なことを言えば、生をおえて幾世紀もたってふるびた書物のなかの存在になって、ようやくそのなま臭さが抜けさってわれわれの鑑賞にたえるものになるのかもしれない。

  今回私がおとずれるのはそういった多くの聖人君子や皇帝たちがいた中原の代表である河南省である。それも河南省の中心といっていい開封である。
「開封」
  といえば、たれもが宋をおもいうかべる。人によっては水滸伝をおもいだすであろう。
  しかし、
「大梁」
  といえば、多くのウリミンジョクは首をかしげるにちがいない。じつは開封と大梁はおなじ都市なのである。もっとも、ウリミンジョクとのかかわりでいえば開封より大梁のほうがはるかに縁が深い。
  戦国時代の魏はこの大梁をみやことし、国号の別名を梁ともいった。戦国四君子の一人である魏の信陵君もここにいた。
  信陵君といえば、義にあつく客をよく遇し数奇な運命をたどったことで知られている。つまりは聖人君子の列に入る者でもあったといっていい。他の三人も多かれ少なかれ義気をふくみ客をたっとんでいた。
  四君子が活躍した当時はすでに秦による併呑がはじまっていた。かれらはそれを阻止しようとしたがけっきょくは抗することができなかった。紀元前二百二十一年、始皇帝は支那大陸に初の統一国家を樹立した。
  だが、これら戦国諸国の興亡は、統一国家の樹立ではなく同一民族間の内輪あらそいであったという。ここでいう同一民族はむろん朝鮮民族である。

  たとえば、魏はほんらい韓や趙とおなじく晋の貴族であった。その祖は荀氏であるという。檀君大の于錫起(ウ・ソッキ) 名誉教授によれば、氏を「高い」という意味のある魏にあらためたのは高句麗と関係があったせいであるという。
  また、かつて羊月城氏がたんねんに考証したように、周、斉は朝鮮民族である姜族の関係する国であり、しぜん、周王室のわかれであるとされる晋や魯もそうである。楚、呉、越はおなじく朝鮮民族の一派である南人によって建国されている。韓は名前からして朝鮮民族そのものであり、燕も高句麗の分枝がたてた属国であった。秦は同様な卵生説話をもつ高句麗とおなじであり、とうぜんそのわかれである趙も朝鮮民族である。
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