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街道を逝く 台湾奇行 11

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/17 13:02 投稿番号: [8374 / 19672]
  引きつづき埔里である。
  朴やんによると、有名人がこのまちの出身であるという。
「政治家ですか」
  わたしの問いに朴やんは首をよこに振った。軍人でもなく芸術家でもない。
  野球選手であるという。

  陳大豊というその人物は、日本にわたり大学をへて名古屋を本拠とする中日ドラゴンズに入団した。
  登録名は「大豊泰昭」といい、台湾の大先輩である王貞治そっくりの一本足打法によって本塁打を量産し本塁打王のタイトルも獲得した。いまは名古屋で中華料理店をいとなんでいるという。
「すばらしい選手でしたよ」
  朴やんはそういったが、すこし疑義もある。
  それは、かれの活躍した時代の本拠地が異様にせまいナゴヤ球場であったことである。
「せまい球場でいくらホームランを打っても意味はないわ。イルボンらしいせせこましさね」
  チャングムがほおをふくらせた。しかし、せまいといえば、韓国の球場もそれにおとらずせまいのである。ここはあまりふかく考えるところでもないであろう。
  そういったことよりも大切なのは、大豊を開花させたのがウリミンジョクのコーチであったということである。日本最高の打者であった張本勲こと張勲の臨時コーチをうけて大豊は長距離打者となったのである。また、張本は大豊だけでなく松井秀喜の恩師であることも知られている。

  日本の野球には無数のウリミンジョクが貢献してきた。そのことはいまもなおかわらない。
  宣銅烈や李承菀だけでなく、張勲や金田正一こと金正一がかずかずの大記録をうち立て、さらには指導者として数多くの日本人選手をみちびいた。
  金田正一は評論家時代の一九七九年春、ロッテオリオンズの春季キャンプで、ドラフト三位で入ってきた打者の打撃練習をひとめ見て、
「あれはプロでは使いもんにならん」
  といいきった。それをきいた山内一弘監督はわが意を得たとうなずき、背番号六のその選手をすぐに二軍に落とし、二年間重用しなかった。山内もすぐれた打者であったのだが、金田の眼力とそれへの信頼をものがたるものであろう。
  日本は、ウリミンジョクがなくては野球の宗主国づらもできないという事実を、もうすこし謙虚にみつめるべきではないか。

  この日は、台中までいって泊まった。
  台中も古都である。鄭成功がくるまでは首邑であったといっていい。ウリナラでいえば新羅の古都である慶州ににているだろうか。
「たかだか五百年かそこらの歴史しかないくせに、古都なんておこがましくて」
  チャングムがわらった。しかし、半万年をかぞえるウリナラの雄大な歴史とくらべてやるのは酷であろう。アジア的な優しさであたたかくみてやるべきではないか。
「先生がそうおっしゃるなら、アジア的優しさで寛恕いたしますわ」
  チャングムはおもいのほか機嫌がよい。夜市でソフトクリームを堪能したせいであろう。
  たかだかソフトクリームとおもってはいけない。霜淇淋(シュァンチーリン)という名前のそれは、なんと五〇センチもの高さがあるものなのである。
  それをみたとき、わたしはなぜか下をむいてため息をつき、
「九センチ」
  とつぶやいてしまった。
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