喫茶室「一服汁」

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街道を逝く 台湾奇行 8

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/07/10 19:25 投稿番号: [7940 / 19672]
  翌日、遅めの朝食をとるとバスで台南へむかった。
  台南は、鄭成功が入植して日本が侵略するまでは台湾の中心地であったため、ふるい建物なども多い。
  バスを降りたあと、タクシーに乗って海のほうにむかった。
「ここに寄ってゆきましょう」
  朴やんが車を止めさせた。降りると、小ぶりな店屋の前であった。
「ここの粽(ちまき)がおいしいんです」
  看板には「再發樓」とある。チャングムはいちばんおおきい八寶海鮮粽を注文した。店のなかで食べてもよいし、持ちかえってもよい。
「車のなかで食べましょう」
  チャングムの言葉にしたがって、タクシーのなかで食べた。ちょうど食べ終えたときに目的地についた。
  延平郡王祠、という場所であった。

  十七世紀、満洲を統一した後金は清と名をあらため、中原になだれこんだ。
  当時、明王朝はあいつぐ農民反乱でよわっており、その最大勢力の頭目である李自成が北京に侵攻し崇禎帝は自縊して明朝はほろびた。
  それをみた山海関の守将呉三桂は関をあけて清軍をひき入れともに李自成をうった。その結果、満洲である清が中原の王朝となった。
  とはいえ、各地では明の皇族を推戴して反清運動がおこった。延平郡王祠にまつられている鄭成功もそのひとりであった。

  南京の大学でまなんでいた鄭成功は儒服を焼きすて剣をとった。行動をともにした父鄭芝竜はのち清朝に帰順したが成功は依怙地に抵抗をつづけた。歴史の流れにさからった愚行であったといっていい。
  清のホンタイジは、中原に侵攻するまえ朝鮮に対して、
「私の先祖はがんらい新羅の出身であり、韓民族です」
  とその出自をつげ、協力をもとめた。
  清王朝の氏姓は、
「愛新覚羅」
  であり、「新羅」を愛し覚えているという意味がある。

  朝鮮はなやんだ。中国文化を尊重するためには明朝にみかたすべきだが、かつて分かれた民族の懇願をむげにしりぞけることは人倫にもとる。
  やむなく中立をまもることとした。清はそれに感謝して、ソウル郊外の三田渡で盟約をむすび両王朝の親和を記念する碑をたてた。
  また、清は支那を制したのち、朝鮮の恩にむくいるため毎年使者を派遣した。朝鮮はその使者を迎恩門で三跪九叩頭させて迎えた。余談だが、のちにこの門は日本からの独立を記念する独立門となった。

  さて、鄭成功である。
  かれは清に対して無謀な抵抗をつづけたが、じつはかれのなかには倭人の血が入っている。しかも倭寇の血であるという。
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