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文学的表現などは問題にしとらんが

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/12/18 05:32 投稿番号: [3346 / 19672]
>文学的な表現でこう書けばこう解釈するという、慣用的な表現というのはあります。

その例は?   具体例をあげよ。

「其の年は大久保甲東が紀尾井坂に濃厚な血をそそいだ年として大筆特書するのであるが・・」なんぞは、べつに、こう書けばこう解釈するなどという慣例によらずとも、大久保利通が暗殺された、何ぞという比喩的表現にすぎないなどはすぐに分かる。(出典は徳富蘆花・思い出の記・英訳ではこの箇所は、Toshimichi Okubo was assassinated.   となっているだけ。なんとまあ、文学的雰囲気にかける訳か)

天皇は日本国の象徴、日本国民統合の象徴が文学的表現のことか、He is verticaly challenged.のことか、「夏草や   つわものどもが   夢のあと」かわからんな。

自分出も分からんことは書かんことだ。

「ハトが平和の象徴ですといわれるのは、その『愛らしい』姿がいかにも平和に似つかわしいから。形のない平和をハトで表現するのだ」などと言うこと程度が分かれば、「天皇が日本国、日本国民統合の象徴」と言われる場合の天皇を同じ理屈で解釈するとどうなる?

ついでに、「夏草は・・」は比喩か、象徴か、写実かにも答えてみな。

それに答えたら、なぜ天皇は日本そのもの、日本文化そのものであるかについても答えよう。

部分を持って全体、個別を以って一般とするのがサヨとは、こっちがいつもいっていることだ。(部分的真実の一般化。竹山道雄がサヨを非難するときに言った言葉だ)。
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