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宗主国さまのみち 15

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/09/09 00:19 投稿番号: [10087 / 19672]
  今日は一日かけて洛陽をみるという。
  洛陽、というと東周や後漢などのみやこであり、古都であろうという思いこみがあるのだが、今回はまず龍門石窟をおとずれ、それから市内にゆく予定である。

  開封から洛陽まで二百キロはあるという。ひたすら高速道路を西にゆくのだが二時間半はかかる。
  出発してから一時間すこしで鄭州を通過した。ここからじょじょに上り坂になってゆく。三十分ほど走るとあたりはすっかり高地である。黄土がつくった垂直に切り立ったような崖がつづく。
「ここが虎牢関ですよ」
  許氏がいった。たしかに道路標示にも虎牢関出口まで何キロというのがあった。
「『三国演義』で関羽、張飛と呂布がたたかったところですね」
  そう確認すると、許氏はうなずいた。中原といえばみわたす限りの平地であり、虎牢関にしてもおなじく『三国演義』に出てくる[シ巳]水関にしても平地の丘と丘のあいだをふさいでいる程度にしかおもってなかった。このような峻険な土地であるなら、たしかに谷あいの道をふさいだ関門は要害となる。

「あ、虎牢関と[シ巳]水関とはおなじですよ。時代によって名前がちがうだけです」
  許氏の指摘に私はおどろいた。[シ巳]水関は関羽が華雄を斬った場所であるのだが、虎牢関と同じものだとはしらなかった。これではまるで、
「光復軍が京城で牟田口連隊をやぶった後、ソウルで板垣師団をうち破った」
  というようなものであろう。
  じつをいえば『三国演義』は明代の成立であり、作者の羅貫中もそれなりに取材はしたのであろうが、地名については結構いい加減なのである。
  たとえば、洛陽から長安へ撤退する董卓を追撃した曹操が呂布に襲われたのは、
「ケイ[螢の虫のかわりに水]陽」
  であるのだが、この土地は洛陽の東にあるためありえない話になっている。安能務氏によれば宜陽とまちがえたのではないかという。
  バスはトンネルをくぐり、そのケイ陽を通過した。洛陽までもうすこしである。
  やがて高速をおり、南へむかって走るとようやく龍門石窟についた。

  車のまま場内へ進もうとすると係員に止められた。許可が必要だという。
  初耳である。そんなことはきいたことがないと許氏がいうと、係員は、
「四十元で許可しよう」
  といい出した。許可料といえばきこえがいいが、つまりは賄賂であるといっていい。許氏がさんざんねばったあげく二十元で妥結した。
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