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「日本統治下の韓国人は安重根の写真を買い

投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2008/11/06 23:24 投稿番号: [980 / 1474]
求めた」


【新刊】イ・ギョンミン著『写真が語る京城』(山冊子)

  19世紀後半、写真というものに初めて接した朝鮮の人々は、「魂を奪う機械だ」と言って顔を背けた。だが、昔も今も、韓国人は新しい流行にすぐに溶け込む民族なのではないか。1900年代になると、一般市民も旧正月や誕生日には当たり前のように写真館を訪れるようになった。1907年、朝鮮王朝第26代国王・高宗(コジョン)のお抱え写真師を務めた金圭鎮(キム・ギュジン)=1868‐1933=が、現在のソウル市中区小公洞に、朝鮮人としては初めて「天然堂写真館」を開いたが、翌年の正月には1カ月間に1000人余りの客が押し寄せ大繁盛したという。朝鮮総督府の統計によると、1930年に朝鮮で営業していた写真師は、日本人と朝鮮人を合わせて1887人に上ったという。


  この本は、写真の歴史と当時の社会を結び付けようと努めた。著者は簡潔で淡々とした文体を用い、1枚1枚の写真の中に、当時の社会の実情がどれだけ反映されているのか、そして個々人の日常生活において、写真はどんな意味を持つものだったのかについて、詳しく説明している。


  例えば、1920‐30年代には写真付きのハガキがよく売れた。妓生(キーセン=芸妓〈げいぎ〉)たちは派手に着飾って撮った写真をあちこちに配り、自分をアピールした。当時の京城(現在のソウル)のエリート層たちは毎晩料亭に集まって飲み食いした。最も人気があったのはもちろん「名月館」だった。1920年、名月館の目と鼻の先に「金光堂」という写真館がオープンした。名月館の妓生たちは集団でここを訪れ写真を撮り、すぐさま近くの料亭の妓生たちもここへ詰め掛けるようになった。これを快く思わなかったライバルの写真館の主人が、酒瓶を持って金光堂へ押しかけ、乱暴狼藉(ろうぜき)を働いたことは言うまでもない。


  現代の人々がスターたちのブロマイド写真を買い求めるのと同じように、昔の人々は安重根(アン・ジュングン)=1879‐1910=の写真を買い求めた。日本の警察は、安重根が伊藤博文(1841‐1909)を狙撃した直後、取り押さえた安重根の写真を撮った。この写真を、日本人の写真師たちがすぐに入手し、大量に複写した。そして日本と朝鮮の双方で、この写真が爆発的に売れた。大物・伊藤博文を倒した男が一体何者なのか、誰もが関心を持っていたためだ。日本政府は慌てて写真の販売を禁止したが、安重根の写真は後世に長く残ることになった。安重根が処刑されてから20年近くたった1927年、宋学先(ソン・ハクソン)という30歳の朝鮮の青年が、当時の斎藤実・朝鮮総督を暗殺しようとして失敗した。その宋学先はソウル市内の日本人の商店で安重根の写真を見て、斎藤総督の暗殺を決意したという。


  詳しい説明と、往時を今に伝える写真が見事に調和しており、20世紀初めにこの地で暮らしていた名も知らぬ人たちが、まるで現代を生きている人のように感じられる。1930年代の朝鮮では、失恋した若い男女が、あるときは一人で、あるときは恋人を道連れに自ら命を絶つことがよくあった。多くの場合、彼らは命を絶つ前に写真館を訪れ、自分の写真を撮った。また、恋人の写真を胸に抱いて死んでいった人もいる。「失恋がもとで自殺した」とはっきり断定するのが難しいケースも時々あった。1939年5月、ホテルのウエーターだった19歳の少年が、片思いしていた少女の写真を胸に抱き、住んでいた町の裏山で首をつった。その少女の名はディアナ・ダービン(1921‐)。ハリウッド映画『オーケストラの少女』に出演したカナダの女優だった。


キム・スヘ記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

http://s02.megalodon.jp/2008-0617-2111-06/www.chosunonline.com/article/20020317000035
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