Re:韓国の新しい歴史教科書発表
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/04/19 20:56 投稿番号: [861 / 1474]
>学問的に正々堂々と反論した場合、返り討ちに遭うのが見えているからであり
そうだと思います。イ・ヨンフン教授が韓国の超有名ベストセラー小説『アリラン』に描かれた「日帝の土地収奪」の虚構性を指摘したところ、その作家とMBC放送から反論らしきものがありましたが、これに対する教授の切り返しは見事なものでした。まさに「返り討ち」です。
たぶんそういうことがあったせいもあって、韓国の歴史学界では、事実認定では反論はしにくいという空気があるのではないかと見ます。(もともと史料に反論のしようはないですけどね。)
今、代案教科書に寄せられている批判は、事実認定についてではなく主として事実の評価の部分です。朴正煕の近代化の功績ばかり強調して独裁による人権弾圧を無視している、とか。
評価は人それぞれで違うのは当然であり、結局は国民多数がどっちをより重要と見るかにかかって来るわけですが、代案教科書への賛否は大まかに言って五分五分だと思っています。
代案教科書に取り入れられたいわゆる植民地近代化論の考えには反発も多いですが、そういう中でこんな新聞記事が登場したのにはちょっと驚きました。
<植民地近代化、教科書フォーラムが正しい>
[韓国経済新聞] 2008/04/07
(前半部分省略)(なお、難しい文章なので翻訳がうまくできていない部分があります。)
問題は、朝鮮が自力で近代化できた可能性だが、支配階級だった儒林と言う存在は果してどうだったか。事大主義の総和である朱子学の巨頭であった宋時烈の遺言によって万東廟という祠堂を作り、明の神宗帝などを国を挙げて祀って来た彼らだ。農民たちから祭祀の費用を掠奪して行った。万東廟を上がる階段は特に幅が狭くて険しい。誰でも這って上がらなければならなかった。「皇帝の位牌がある所だ!」 想像するだけでも息詰まる場面だ。 この奇怪な時代錯誤が終わったのは、明が亡び清が亡んで、併合からも7年が経った1917年のことだった。
一時期の教科書はこれを日帝の文化侵奪だと書いた。しかし時代錯誤と文化侵奪、二つの中で果して何だと言わなければならないか。1937年12月に発行された総督府の機関紙京城日報は、儒林10人余りが深夜にまた万東廟に忍び入って祭祀を行った事を、実に憐れみをもって記録している。今日のタリバンや北韓のように、自らはこれ以上どうやって見る道理がない、精神と物質が貧しい国だった。
1920年代の東亜日報は、学校の教室が足りないため空いていた郷校で勉強しようとする学生たちを追い出した儒林に関する記事を書いている。郷校で新式教育をすれば「孔子の魂霊が乱れる!」と言う理由だった。東亜日報は、「儒林の本質は何か」という題目でこれを慨嘆する長い社説を書いた。
植民地近代化でなければ他にどういう近代化が可能だったというのか知りたい。自分の失敗には目をつぶってひたすら被害意識だけを言うこっけいな民族主義教科書はもう閉じる時になった。歴史から何も学ばないという馬鹿の愚かさであり朱子学的頑迷だ。
これは メッセージ 859 imp_mania_jk さん及びメッセージ 860 toapanlang さんに対する返信です
そうだと思います。イ・ヨンフン教授が韓国の超有名ベストセラー小説『アリラン』に描かれた「日帝の土地収奪」の虚構性を指摘したところ、その作家とMBC放送から反論らしきものがありましたが、これに対する教授の切り返しは見事なものでした。まさに「返り討ち」です。
たぶんそういうことがあったせいもあって、韓国の歴史学界では、事実認定では反論はしにくいという空気があるのではないかと見ます。(もともと史料に反論のしようはないですけどね。)
今、代案教科書に寄せられている批判は、事実認定についてではなく主として事実の評価の部分です。朴正煕の近代化の功績ばかり強調して独裁による人権弾圧を無視している、とか。
評価は人それぞれで違うのは当然であり、結局は国民多数がどっちをより重要と見るかにかかって来るわけですが、代案教科書への賛否は大まかに言って五分五分だと思っています。
代案教科書に取り入れられたいわゆる植民地近代化論の考えには反発も多いですが、そういう中でこんな新聞記事が登場したのにはちょっと驚きました。
<植民地近代化、教科書フォーラムが正しい>
[韓国経済新聞] 2008/04/07
(前半部分省略)(なお、難しい文章なので翻訳がうまくできていない部分があります。)
問題は、朝鮮が自力で近代化できた可能性だが、支配階級だった儒林と言う存在は果してどうだったか。事大主義の総和である朱子学の巨頭であった宋時烈の遺言によって万東廟という祠堂を作り、明の神宗帝などを国を挙げて祀って来た彼らだ。農民たちから祭祀の費用を掠奪して行った。万東廟を上がる階段は特に幅が狭くて険しい。誰でも這って上がらなければならなかった。「皇帝の位牌がある所だ!」 想像するだけでも息詰まる場面だ。 この奇怪な時代錯誤が終わったのは、明が亡び清が亡んで、併合からも7年が経った1917年のことだった。
一時期の教科書はこれを日帝の文化侵奪だと書いた。しかし時代錯誤と文化侵奪、二つの中で果して何だと言わなければならないか。1937年12月に発行された総督府の機関紙京城日報は、儒林10人余りが深夜にまた万東廟に忍び入って祭祀を行った事を、実に憐れみをもって記録している。今日のタリバンや北韓のように、自らはこれ以上どうやって見る道理がない、精神と物質が貧しい国だった。
1920年代の東亜日報は、学校の教室が足りないため空いていた郷校で勉強しようとする学生たちを追い出した儒林に関する記事を書いている。郷校で新式教育をすれば「孔子の魂霊が乱れる!」と言う理由だった。東亜日報は、「儒林の本質は何か」という題目でこれを慨嘆する長い社説を書いた。
植民地近代化でなければ他にどういう近代化が可能だったというのか知りたい。自分の失敗には目をつぶってひたすら被害意識だけを言うこっけいな民族主義教科書はもう閉じる時になった。歴史から何も学ばないという馬鹿の愚かさであり朱子学的頑迷だ。
これは メッセージ 859 imp_mania_jk さん及びメッセージ 860 toapanlang さんに対する返信です
これは メッセージ 860 (toapanlang さん)への返信です.
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