韓カテ資料室

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100年前、「韓民族」は存在していなかった

投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2007/10/23 10:21 投稿番号: [738 / 1474]
http://www.chosunonline.com/article/20070902000026(上)

  1905年10月31日、「皇城新聞」は中国の集安で高さ6.4メートルに達する1500年前の石碑が発見されたと報じた。

  しかしこの石碑が発見されたのは、これが初めてではなかった。既に23年前、82年に中国当局が石碑を発見し、碑文の主人公が広開土大王だと考証していた。日本はその2年後に石碑の拓本を取り、博物館に展示した。「皇城新聞」は、こうした過程が韓国人には伝えられていなかったと慨嘆したが、事実、韓国人は同紙の報道でようやくこの石碑に特別な関心を持つようになったのだ。韓国の国権が日本の手に渡る乙巳条約(日韓保護条約)締結のわずか十数日前の出来事だった。


そもそも広開土王は朝鮮民族の王ではありませんから
当然韓国人にはなんの関係もないのですから知らされて無くて当然といえますが
それを別にしても   亡国を目前にして初めて「民族」という概念が芽生えるのは
何も韓国人に限ったことではないでしょう


http://www.chosunonline.com/article/20070902000027(中)
  檀君が民族の始祖と仰がれたのも、この頃からだ。檀君は13世紀の文献『三国遺事』に初めて登場するが、朝鮮後期までは(古朝鮮の)箕子の陰に隠れ注目を受けなかった。中国の遺民を導いて朝鮮にやって来た箕子は、中華文明の英傑として敬われた。著者は「檀君の地位が格上げされる過程は、民族という新造語の使用が増えていく現象と平行して進んだ」と述べた。

支那の文化を流入する段階に置いて   都合良く「箕子朝鮮」を受け入れていたのに
支那よりも日本や西洋の文化を受け入れるようになると   いきなり「檀君朝鮮」を持ってくる
この辺りの変わり身の早さというのは…   うーん…


http://www.chosunonline.com/article/20070902000028(下)
  著者が語っているように、民族の概念は「韓国を中華主義的観念から分離させる手段として、また日本の侵略に当たり国家の正しい姿を維持する手段」として登場し、より一層強化された。「民族史と新聞史は、やはり互いを通じてのみ規定される。すなわち、斯様な規定のために、両者は互いに依存的なものだ」という著者の洞察もまた、返す返す読み応えがある。

この場合   著者ではなく   翻訳者(たぶん翻案も兼ねている気がする)の意見でしょうが
国を失ったからこそ「朝鮮民族」という概念が芽生えるのは当然ですが   それは国家ではありますまい
民族と国家を同一に見るのは間違いです
それ以前   同じ民族でありつつも   地域差などで差別し合い  
現在に至るも在外同胞や出身地・出身階級・障害の有無などで差別しているのに…
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