「慰安婦20万人説」出現の経緯(2)
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/03/18 23:22 投稿番号: [548 / 1474]
<北朝鮮外交官と韓国の教科書が陥っている虚数の罠>
慰安婦と徴用者の数はどのくらいか
すべきことをせず虚数にこだわる現実が歴史家を憂鬱にする
[ 李栄薫 / 2005-04-23 01:59 ]
ニュー・ライト・ドットコム
http://www.newright.or.kr/read.php?cataId=nr06000&num=157
照会 : 3995
(翻訳その2)
20万と言う数字が最初に挙げられたのは、1969年、国内の某日刊紙であったと知られている。それによれば、1943年から1945年の間、「挺身隊として動員された朝鮮と日本の女性は全体でおよそ20万であり、そのうちの朝鮮女性は5万〜7万人と推算される。」であった。ここで挺身隊は、慰安婦ではなく軍需工場などに動員された勤労女性を指す。
ところが、1984年、宋建鎬(ソン・ゴンホ)は彼の本『日帝支配下の韓国現代史』で、「日帝が挺身隊の名目で連行した朝鮮の女性は、ある記録によれば20万で、その中で5万〜7万が慰安婦に充てられた。」と書いた。このように20万と5万〜7万という同じ数字が引用されているが、意味が変わっていることを読者は看破することができる。
ところで、宋建鎬にしても、20万と言う数字は慰安婦ではなく挺身隊を示す意味だった。だから、両者が全面的に混同されて20万と言う数字が朝鮮女性慰安婦の総数に変わるのは、1984年以後今までの間のことだったわけだ。
徴用や徴兵で強制動員された男たちが650万又は840万だったという主張も、似たような過程を通じて生じた。このことに関する最初の推定は、1965年、在日史学者朴慶植によるものであったと筆者は記憶する。彼によれば、1939〜1945年の間、日本に徴用された者が100万、朝鮮国内の動員者が450万、軍人・軍属が37万、合計約600万人が強制動員された。( 『朝鮮人強制連行の記録』 )
これらの数字がどの程度正確でどのような性質なのかについては、検討の余地が多い。しかしながら、こういうふうに生じた600万と言う数字は、この40年間、引用に次ぐ引用が繰り返され、南韓では650万に、北韓では840万に脹らんだ。内容も、皆、日本へ「強制的に引かれて行った」に変わった。
1940年の国勢調査によれば、当時20〜40歳の朝鮮の男子の総数は321万人だった。その年齢層の男たちを全員連れて行っても半分を満たすことができない数字が教科書で教えられ、また国際会議で挙論されるとは、それは問題ではないか?
参考として言えば、当時16〜21歳の朝鮮女性は125万人だった。筆者が朝鮮女性の慰安婦が 「数十万」あるいは「20万」にもなるという説を信じないまた一つの理由を、読者たちは見当をつけることができよう。
筆者は、昨年に書いた一論文で、韓国の国史教科書が、過去40年間、日帝が土地の40%を収奪したと教えて来たことは事実ではないと指摘したことがある(『時代精神』28)。 その数字は、1967年、ある無責任な歴史学者がいい加減に作り出したものに過ぎない。
それでも、過去40年間、国史教科書はえんえんとその加空の数字を引用して来た。それと全く同じように、過去20年の間には、「慰安婦20万人」と「強制連行600万人」というまた一つの神話が作られて来たわけだ。韓国と日本との間の過去史には清算しなければならない課題が多い。
何よりも、異域万里、遠い所に埋もれた徴兵・徴用者たちの遺骨を収めて国内に奉還することが至急な課題だ。なすべきことが多く急ぐ必要はあるが、やたらと虚数を作り出してそれに対する日本の責任を追及するだけならば、それが本当に正しい過去史清算のやり方だろうか。歴史家の憂いは深まるばかりだ。
イ・ヨンフン(ソウル大学経済学部教授、韓国経済史)
慰安婦と徴用者の数はどのくらいか
すべきことをせず虚数にこだわる現実が歴史家を憂鬱にする
[ 李栄薫 / 2005-04-23 01:59 ]
ニュー・ライト・ドットコム
http://www.newright.or.kr/read.php?cataId=nr06000&num=157
照会 : 3995
(翻訳その2)
20万と言う数字が最初に挙げられたのは、1969年、国内の某日刊紙であったと知られている。それによれば、1943年から1945年の間、「挺身隊として動員された朝鮮と日本の女性は全体でおよそ20万であり、そのうちの朝鮮女性は5万〜7万人と推算される。」であった。ここで挺身隊は、慰安婦ではなく軍需工場などに動員された勤労女性を指す。
ところが、1984年、宋建鎬(ソン・ゴンホ)は彼の本『日帝支配下の韓国現代史』で、「日帝が挺身隊の名目で連行した朝鮮の女性は、ある記録によれば20万で、その中で5万〜7万が慰安婦に充てられた。」と書いた。このように20万と5万〜7万という同じ数字が引用されているが、意味が変わっていることを読者は看破することができる。
ところで、宋建鎬にしても、20万と言う数字は慰安婦ではなく挺身隊を示す意味だった。だから、両者が全面的に混同されて20万と言う数字が朝鮮女性慰安婦の総数に変わるのは、1984年以後今までの間のことだったわけだ。
徴用や徴兵で強制動員された男たちが650万又は840万だったという主張も、似たような過程を通じて生じた。このことに関する最初の推定は、1965年、在日史学者朴慶植によるものであったと筆者は記憶する。彼によれば、1939〜1945年の間、日本に徴用された者が100万、朝鮮国内の動員者が450万、軍人・軍属が37万、合計約600万人が強制動員された。( 『朝鮮人強制連行の記録』 )
これらの数字がどの程度正確でどのような性質なのかについては、検討の余地が多い。しかしながら、こういうふうに生じた600万と言う数字は、この40年間、引用に次ぐ引用が繰り返され、南韓では650万に、北韓では840万に脹らんだ。内容も、皆、日本へ「強制的に引かれて行った」に変わった。
1940年の国勢調査によれば、当時20〜40歳の朝鮮の男子の総数は321万人だった。その年齢層の男たちを全員連れて行っても半分を満たすことができない数字が教科書で教えられ、また国際会議で挙論されるとは、それは問題ではないか?
参考として言えば、当時16〜21歳の朝鮮女性は125万人だった。筆者が朝鮮女性の慰安婦が 「数十万」あるいは「20万」にもなるという説を信じないまた一つの理由を、読者たちは見当をつけることができよう。
筆者は、昨年に書いた一論文で、韓国の国史教科書が、過去40年間、日帝が土地の40%を収奪したと教えて来たことは事実ではないと指摘したことがある(『時代精神』28)。 その数字は、1967年、ある無責任な歴史学者がいい加減に作り出したものに過ぎない。
それでも、過去40年間、国史教科書はえんえんとその加空の数字を引用して来た。それと全く同じように、過去20年の間には、「慰安婦20万人」と「強制連行600万人」というまた一つの神話が作られて来たわけだ。韓国と日本との間の過去史には清算しなければならない課題が多い。
何よりも、異域万里、遠い所に埋もれた徴兵・徴用者たちの遺骨を収めて国内に奉還することが至急な課題だ。なすべきことが多く急ぐ必要はあるが、やたらと虚数を作り出してそれに対する日本の責任を追及するだけならば、それが本当に正しい過去史清算のやり方だろうか。歴史家の憂いは深まるばかりだ。
イ・ヨンフン(ソウル大学経済学部教授、韓国経済史)
これは メッセージ 547 (chaamiey さん)への返信です.
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