Re: 慰安婦の人権保護に関するヒアリング(
投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2007/03/11 11:09 投稿番号: [526 / 1474]
この証言から言えること。
1.「強制連行ではない」
「I tip-toed out of the house after her. 」
「I followed my friend until we met the same man who had tried to approach us on the riverbank. 」
「We went to the station and took a train to Kyongju. 」
自らの意思で家を出て、「the same man who had tried to approach us on the riverbank. 」女衒の男に付いて行った。
2.「強姦」されたのは、上海への船内。相手は不明。
「I remember crawling towards the bathroom, throwing up as I went along, when I was grabbed by a man and dragged into a cabin. 」
「In this way I was raped. 」
日本軍将兵によってではない。
3.連れて行かれた先は、台湾の「女郎屋」であった。
「Eventually we arrived in Taiwan. 」
「The man who had accompanied us from Taegu turned out to be the proprietor of the comfort station we were taken to. 」
所謂「軍が直接設置した」と巷で誤解されている「モノ」では無い。
そしてこの様な「店」は、日本のみならず、世界中どこにでもあった。
後の記述は、それなりに悲惨だが、見るところ無し。
<疑問点>
1944年秋に故郷を出奔。その後大連・上海を経由して、海路台湾へ渡ったのが、1945年1月以降。
果たしてこの時期に、民間船が上海〜台湾航路を航行できたであろうか?
「マリアナ沖海戦」(1944年6月)で連合艦隊が壊滅的打撃を受け、「レイテ沖海戦」(1944年10月)で実質的に連合艦隊は「海に沈んだ」
その前には「台湾沖航空戦」(1944年10月)が生起している。
実質的に米機動部隊の「制空権」は、1944年秋の時点で台湾以南に及んでいる。
また、海上航路においては、1944年12月の時点で既に日本の南方〜本土航路は壊滅状態に陥っていた。
1944年12月に編成された「ヒ八七A船団」は、船団平均速力12ノットの「高速輸送船団(10隻)」でしたが。
1944年12月31日、門司を出港後、台湾・香港を経由してシンガポールに到着するまでに、10隻中9隻が沈没しています。
*1隻のみたどり着けたのは、三菱汽船の5千トンタンカー「さらわく丸」
帰路は1945年3月19日、「ヒ八八J船団(8ノットの低速船7隻と護衛艦6隻で編成)」としてですが。
この船団は「全滅」し、ただの1隻も日本本土へは辿りつけていません。
清沢洌(1890年2月8日-1945年5月21日、ジャーナリスト、評論家)の「暗黒日記」の記述(1945年3月19日付)
「石油は南方からはタンカーの一割ぐらいしか帰って来ない」
軍の徴用船以外、1944年〜1945年の時点では、南方航路は航行していない。
1945年3月以降は、本土〜沖縄・台湾でさえ、全航路が「途絶」している。
こんな状況でどうやって「上海から台湾まで」海路でいけたのか?
民間商船士官養成大学出身の私としては、大学在学中に教授連(中には「名誉教授」として戦時中実際に南方航路で勤務した
「元船乗り」も居られましたが)から聞き及んだ話の実情からは、かなり乖離している・・・
>ただ、ニュース記事によれば、アメリカ議会の関係者の中には、すでに、「強制があったかどうかは関係ない。悲惨な体験があったことが問題だ。」という認識も形成されているようです。なかなか難しい局面ではあります。
あくまで「感情論」としては、そうなってしまうでしょうが。
仮にも「主要同盟国」との関係悪化を決定付ける決議案ですので、「常識」は働かせて欲しいものです。
逆に言えばアメリカは、ベトナムから「本当の」戦争による「暴行・誘拐・強姦被害者」の女性達から、下院での「自国・自国軍隊非難決議案」を提示された場合、どうするのか?
滑稽で、理性的ではなく単純な感情論で。
もしこれが採択された場合、米下院は「馬鹿の集団」と、自ら宣言するような物ですな・・・
1.「強制連行ではない」
「I tip-toed out of the house after her. 」
「I followed my friend until we met the same man who had tried to approach us on the riverbank. 」
「We went to the station and took a train to Kyongju. 」
自らの意思で家を出て、「the same man who had tried to approach us on the riverbank. 」女衒の男に付いて行った。
2.「強姦」されたのは、上海への船内。相手は不明。
「I remember crawling towards the bathroom, throwing up as I went along, when I was grabbed by a man and dragged into a cabin. 」
「In this way I was raped. 」
日本軍将兵によってではない。
3.連れて行かれた先は、台湾の「女郎屋」であった。
「Eventually we arrived in Taiwan. 」
「The man who had accompanied us from Taegu turned out to be the proprietor of the comfort station we were taken to. 」
所謂「軍が直接設置した」と巷で誤解されている「モノ」では無い。
そしてこの様な「店」は、日本のみならず、世界中どこにでもあった。
後の記述は、それなりに悲惨だが、見るところ無し。
<疑問点>
1944年秋に故郷を出奔。その後大連・上海を経由して、海路台湾へ渡ったのが、1945年1月以降。
果たしてこの時期に、民間船が上海〜台湾航路を航行できたであろうか?
「マリアナ沖海戦」(1944年6月)で連合艦隊が壊滅的打撃を受け、「レイテ沖海戦」(1944年10月)で実質的に連合艦隊は「海に沈んだ」
その前には「台湾沖航空戦」(1944年10月)が生起している。
実質的に米機動部隊の「制空権」は、1944年秋の時点で台湾以南に及んでいる。
また、海上航路においては、1944年12月の時点で既に日本の南方〜本土航路は壊滅状態に陥っていた。
1944年12月に編成された「ヒ八七A船団」は、船団平均速力12ノットの「高速輸送船団(10隻)」でしたが。
1944年12月31日、門司を出港後、台湾・香港を経由してシンガポールに到着するまでに、10隻中9隻が沈没しています。
*1隻のみたどり着けたのは、三菱汽船の5千トンタンカー「さらわく丸」
帰路は1945年3月19日、「ヒ八八J船団(8ノットの低速船7隻と護衛艦6隻で編成)」としてですが。
この船団は「全滅」し、ただの1隻も日本本土へは辿りつけていません。
清沢洌(1890年2月8日-1945年5月21日、ジャーナリスト、評論家)の「暗黒日記」の記述(1945年3月19日付)
「石油は南方からはタンカーの一割ぐらいしか帰って来ない」
軍の徴用船以外、1944年〜1945年の時点では、南方航路は航行していない。
1945年3月以降は、本土〜沖縄・台湾でさえ、全航路が「途絶」している。
こんな状況でどうやって「上海から台湾まで」海路でいけたのか?
民間商船士官養成大学出身の私としては、大学在学中に教授連(中には「名誉教授」として戦時中実際に南方航路で勤務した
「元船乗り」も居られましたが)から聞き及んだ話の実情からは、かなり乖離している・・・
>ただ、ニュース記事によれば、アメリカ議会の関係者の中には、すでに、「強制があったかどうかは関係ない。悲惨な体験があったことが問題だ。」という認識も形成されているようです。なかなか難しい局面ではあります。
あくまで「感情論」としては、そうなってしまうでしょうが。
仮にも「主要同盟国」との関係悪化を決定付ける決議案ですので、「常識」は働かせて欲しいものです。
逆に言えばアメリカは、ベトナムから「本当の」戦争による「暴行・誘拐・強姦被害者」の女性達から、下院での「自国・自国軍隊非難決議案」を提示された場合、どうするのか?
滑稽で、理性的ではなく単純な感情論で。
もしこれが採択された場合、米下院は「馬鹿の集団」と、自ら宣言するような物ですな・・・
これは メッセージ 525 (chaamiey さん)への返信です.
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