百済武寧王について(15)
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/02/28 23:45 投稿番号: [507 / 1474]
さて、いよい倭王武の正体に迫ってゆきます。(苦笑)
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四
雄略天皇の倭王武比定は再考すべきだ
倭王武が四七八年(昇明二年)宗(ママ)順帝に捧呈した上表文は、危機に際した百済の救援を目的に出したのである。しかしその文の中には、いまだよく知られていないいくつかの重要な事実問題が記録されているが、これを土台にして、雄略天皇の倭王武の比定を検討するならば、今までの通説は重大な問題に出会うであろう。
第一、「倭王武」と雄略天皇の即位年度が各々違うということである。「武」の上表文によると、「武」は逝去したと見られる先代王倭王「興」の後を継いで、新しい王位に即位して、彼の先代倭王がやったとおり彼も皇帝へ新しい官号を要請したと思われる。「武」の自請官爵には従来まれな、百済をふくむ諸軍事管轄権を要求しているが、彼らの先代倭王は久しい前から王位についたら儀礼的に百済王の仲介で独自的な官号を承ってきたという。
しかし、倭王「武」と比定された雄略天皇の場合、彼は『書紀』によると四五七年第二一代天皇に即位し、それから約二〇年間在位して四七九年に逝去されたという。彼は天皇在位中に、皇帝から官号の授与をうけるとか、または皇帝にこれらを要請した事実がないという。
しかも、彼の即位年度は四五七年のことで、それは「武」の先代である「興」の場合(四六〇年頃と推定)よりも、前に立つのであるがため雄略の倭王「武」比定は事実上成立しがたいのである(18)。
第二に、倭王「武」と雄略の父王はその没年が各々違うというのである。『宋書』に記録された倭王の系譜は「武」と「興」の父を「済」という。ところが、雄略の『書紀』系譜である兄安康と父王允恭は、『宋書』の系譜によく符合するがため、学界では雄略の倭王「武」比定はもちろんのこと、安康の「興」と允恭の「済」の比定までも相当の根拠があるものと見ている(19)。
これは メッセージ 502 (toapanlang さん)への返信です.
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