上田正昭のお仕事 1
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/01/05 19:24 投稿番号: [452 / 1474]
たびたび私と娘々が紹介している蘇鎮轍の「イヤ論文」とも関連するので紹介します。
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■「論文」の書き方2――上田正昭の手法に学ぶ
投稿者: polalis
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&page=11&nid=74465
yonaki氏が金錫亨に手を出してくれたのに触発されて、論文の書き方、第二弾。
今回は、上田正昭「石上神宮と七支刀」(『日本の中の朝鮮文化』9、1971.3.25、pp.4-14)の手法を学んでみましょう。
※上掲「論文」は、註が一つも付されていないいわば随筆の類である。しかし、七支刀研究に於いては屡々論拠あるいは自明の事実の如く用いられていることに配慮し、「論文」としてとりあつかう。
※なお、本誌は学会誌ではない。発行は日本の中の朝鮮文化社、発行人は鄭詔文である。この人名に聞き覚えのある方も多かろうが、今回はその件についてはとりあつかわない。
■研究史上の位置
面倒なので、下図をご参照下さい。
(東亜註:図は略)
■「論文」の構成
1)金達寿の「帰化人」に関する指摘を引用
「……すべて朝鮮を『征服』したことによってもたらされた『帰化人』としてしまっている。ここにまず一つの大きなウソがあって、今日なお根強いものがある日本人一般の朝鮮および朝鮮人に対する偏見や蔑視のもとになっているばかりか」云々(p.4)
2)金達寿指摘への同意明示
「その疑問は当然であり、その指摘は的を貫いている。」(p.4)
3)先行研究の「問題」指摘
「そのような「帰化人」観を助長し、そのような「征服」観をはぐくんできた、日本古代史学の史観そのものを根底から史実にもとづいて問いただすことが肝要」(p.5)
「帰化人史観」や「征服史観」が、いかに「初期日朝関係」史をゆがめてきたかを、具体的に究明することが、これまでの古代史学の姿勢をただす大切な課題」(p.5)
4)石上神宮に関する所所感の開陳(pp.5-10)
5)七支刀に関する「解説」
「この刀は呪刀であって、百済王が倭王に下賜した刀であった。」(p.7)
「百済王が倭王に与えた七支刀」(p.8・p.11)
「この刀が倭王に与えられたものであり、後世に伝示せよとしたものであることは、何人も認めねばなるまい。」(p.11)
「研究史の要点は別に書いたので(『日本文化の起源』日本史編・解説)、ここでは省略するが、」(p.12)
→「百済王が倭王に「献上した」刀などとするような誤った見解から解放されて(上田正昭「石上神宮と七支刀」昭和四十六年)、あらたに謎の四世紀に迫る必要を痛感するのである。」
(上田正昭「解説」(『日本文化の起源 第二巻 日本史』(平凡社、1971.5.24))p.25)
ひとまず、ここまでの要約。
先行研究は、「帰化人史観」「征服史観」らしいです。史観がどうであれ、事実立証が適切に行われていれば無問題……とは考えないのが上田式。この手法はある意味無敵です。
ちなみに、「「帰化人史観」や「征服史観」が、いかに「初期日朝関係」史をゆがめてきたかを、具体的に究明することが、これまでの古代史学の姿勢をただす大切な課題」と言ってます。つまり、史観が初期日朝関係史をどのように歪められたかは、まだ具体的には究明されてないわけです。いきなり自滅です。
更に、七支刀についての論証開始前なのに、百済王が「下賜した刀」「与えた刀」と断言しちゃってます。結論先行です。ついでに、「何人も認めねばなるまい」と言いだします。なぜそう理解するのが妥当であるかを論述する手間を、思いっきり惜しみます。先行研究に山ほど異説があるのは無視です。「依頼・希望でも同じ表現だよ」なんて指摘は、きっと聞こえていません。
(続く)
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■「論文」の書き方2――上田正昭の手法に学ぶ
投稿者: polalis
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&page=11&nid=74465
yonaki氏が金錫亨に手を出してくれたのに触発されて、論文の書き方、第二弾。
今回は、上田正昭「石上神宮と七支刀」(『日本の中の朝鮮文化』9、1971.3.25、pp.4-14)の手法を学んでみましょう。
※上掲「論文」は、註が一つも付されていないいわば随筆の類である。しかし、七支刀研究に於いては屡々論拠あるいは自明の事実の如く用いられていることに配慮し、「論文」としてとりあつかう。
※なお、本誌は学会誌ではない。発行は日本の中の朝鮮文化社、発行人は鄭詔文である。この人名に聞き覚えのある方も多かろうが、今回はその件についてはとりあつかわない。
■研究史上の位置
面倒なので、下図をご参照下さい。
(東亜註:図は略)
■「論文」の構成
1)金達寿の「帰化人」に関する指摘を引用
「……すべて朝鮮を『征服』したことによってもたらされた『帰化人』としてしまっている。ここにまず一つの大きなウソがあって、今日なお根強いものがある日本人一般の朝鮮および朝鮮人に対する偏見や蔑視のもとになっているばかりか」云々(p.4)
2)金達寿指摘への同意明示
「その疑問は当然であり、その指摘は的を貫いている。」(p.4)
3)先行研究の「問題」指摘
「そのような「帰化人」観を助長し、そのような「征服」観をはぐくんできた、日本古代史学の史観そのものを根底から史実にもとづいて問いただすことが肝要」(p.5)
「帰化人史観」や「征服史観」が、いかに「初期日朝関係」史をゆがめてきたかを、具体的に究明することが、これまでの古代史学の姿勢をただす大切な課題」(p.5)
4)石上神宮に関する所所感の開陳(pp.5-10)
5)七支刀に関する「解説」
「この刀は呪刀であって、百済王が倭王に下賜した刀であった。」(p.7)
「百済王が倭王に与えた七支刀」(p.8・p.11)
「この刀が倭王に与えられたものであり、後世に伝示せよとしたものであることは、何人も認めねばなるまい。」(p.11)
「研究史の要点は別に書いたので(『日本文化の起源』日本史編・解説)、ここでは省略するが、」(p.12)
→「百済王が倭王に「献上した」刀などとするような誤った見解から解放されて(上田正昭「石上神宮と七支刀」昭和四十六年)、あらたに謎の四世紀に迫る必要を痛感するのである。」
(上田正昭「解説」(『日本文化の起源 第二巻 日本史』(平凡社、1971.5.24))p.25)
ひとまず、ここまでの要約。
先行研究は、「帰化人史観」「征服史観」らしいです。史観がどうであれ、事実立証が適切に行われていれば無問題……とは考えないのが上田式。この手法はある意味無敵です。
ちなみに、「「帰化人史観」や「征服史観」が、いかに「初期日朝関係」史をゆがめてきたかを、具体的に究明することが、これまでの古代史学の姿勢をただす大切な課題」と言ってます。つまり、史観が初期日朝関係史をどのように歪められたかは、まだ具体的には究明されてないわけです。いきなり自滅です。
更に、七支刀についての論証開始前なのに、百済王が「下賜した刀」「与えた刀」と断言しちゃってます。結論先行です。ついでに、「何人も認めねばなるまい」と言いだします。なぜそう理解するのが妥当であるかを論述する手間を、思いっきり惜しみます。先行研究に山ほど異説があるのは無視です。「依頼・希望でも同じ表現だよ」なんて指摘は、きっと聞こえていません。
(続く)
これは メッセージ 1 (justina_eto さん)への返信です.
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