本当に漢字が読めないんだ
投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/11/11 07:38 投稿番号: [8841 / 30895]
記事入力 : 2006/11/11 07:30
「中国の東北工程への反論、丹斎先生が70年前に準備していた」
「中国の東北工程に対応するための韓国側の論理は、もう70年以上も前に丹斎(申采浩〈シン・チェホ〉の号)先生が準備されていました。丹斎先生は漢四郡が韓半島(朝鮮半島)ではなく遼東半島にあったということも考証していました。そんな丹斎先生の著作が、ハングル世代にも読めるような形で紹介されていないのは、ひとえに国史学者の怠慢です。」
ピボン出版社のパク・キボン社長(59)は最近、丹斎・申采浩(1880-1936)の歴史に関する著作のすべてを「翻訳」する作業を進めている。
パク社長は先月、『乙支文徳(ウルチムンドク)伝』(乙支文徳は高句麗の6世紀末の武将で随軍を退けた英雄)を出版したのに続き、最近では申采浩の代表的な著作である『朝鮮上古史』を出版した。今後も、『李舜臣伝』(李舜臣は文禄の役で日本軍に勝利した朝鮮時代の名将)、『淵蓋蘇文伝』(淵蓋蘇文は泉蓋蘇文とも言い、高句麗末期の権力者)、『朝鮮上古文化史』など、申采浩の歴史著作をすべて翻訳する予定だという。
ここであえて「翻訳」と表現した理由は、申采浩の文章が今の人々が理解するにはとても難しい、漢文混用体で書かれているためだ。
例えばこんな具合だ。「『朝鮮史略』に『国土未還 公能還 公既未還 妾安能独還 而慟而絶 高句麗人 遂並葬公主於其地』とあり…。」
パク社長はこれを、「『朝鮮史略』では『国土を取り返せなかったのにあなたはお帰りになることができましょうか。あなたが帰らないのに妾がどうして一人で帰れますか、と言って号泣すると、気絶してしまった。高句麗の人々はとうとう王女をその地にともに葬った』としており…」と翻訳した。
パク社長はソウル大・商学部の出身で出版業に従事してきた。1980年に出版社を設立し、20年間にわたって主に経済学の教科書を出版してきた。ところが2001年に「大学の講義で採用されなければ売れないような教科書はもう出版しない」と決心したという。
では、出版社社長の彼がなぜ申采浩の著作の翻訳を直接手がけるようになったのだろうか。パク社長は「20代から『資治通鑑』、『春秋左伝』などを独学で勉強しており、出版に長くかかわってきたせいもあり国語に通じている」とし、漢字を外国語のように勉強した人が翻訳した文章を見ていられなくなって直接翻訳するようになった」と語った。
パク社長は「娘が読んで理解できなかった部分はすべて易しく書き直した」と付け加えた。
申采浩の『朝鮮上古史』は日帝時代の1931年に、『朝鮮史』という題名で朝鮮日報の紙面に103回にもわたって連載されたものだ。パク社長は「検閲と弾圧に苦しめられた植民地時期にこうした文章が連載されたこと自体とてもすごいこと」とするとともに、「もし当時、朝鮮日報が掲載していなければこの丹斎先生の著作は存在しなかっただろう」と語った。申采浩は翌年、同じく朝鮮日報に『朝鮮上古文化史』を連載した。
「丹斎先生は真の天才です。『朝鮮上古史』は、多くの本を参照しながら書かれたものではなく、獄中で頭の中に入っている内容を一気に書き上げたものです。ところがこれまで今の人に読んでもらえる形で丹斎先生の著作が紹介されたことはなく、読んだことのある人がほとんどいないのが現実です。漢字をまったく知らない世代にとって、この本が植民史観を脱却する契機になってくれればと思います。」
パク社長は「韓国では偉人伝は子どもが読むものだと思われている」とし、「今後は、大人たちにも読まれるような韓国の偉人に関する本を出版していく計画」と語った。
文=イ・ハンス記者
写真=チュ・ワンチュン記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
他山の石としたい。
「中国の東北工程への反論、丹斎先生が70年前に準備していた」
「中国の東北工程に対応するための韓国側の論理は、もう70年以上も前に丹斎(申采浩〈シン・チェホ〉の号)先生が準備されていました。丹斎先生は漢四郡が韓半島(朝鮮半島)ではなく遼東半島にあったということも考証していました。そんな丹斎先生の著作が、ハングル世代にも読めるような形で紹介されていないのは、ひとえに国史学者の怠慢です。」
ピボン出版社のパク・キボン社長(59)は最近、丹斎・申采浩(1880-1936)の歴史に関する著作のすべてを「翻訳」する作業を進めている。
パク社長は先月、『乙支文徳(ウルチムンドク)伝』(乙支文徳は高句麗の6世紀末の武将で随軍を退けた英雄)を出版したのに続き、最近では申采浩の代表的な著作である『朝鮮上古史』を出版した。今後も、『李舜臣伝』(李舜臣は文禄の役で日本軍に勝利した朝鮮時代の名将)、『淵蓋蘇文伝』(淵蓋蘇文は泉蓋蘇文とも言い、高句麗末期の権力者)、『朝鮮上古文化史』など、申采浩の歴史著作をすべて翻訳する予定だという。
ここであえて「翻訳」と表現した理由は、申采浩の文章が今の人々が理解するにはとても難しい、漢文混用体で書かれているためだ。
例えばこんな具合だ。「『朝鮮史略』に『国土未還 公能還 公既未還 妾安能独還 而慟而絶 高句麗人 遂並葬公主於其地』とあり…。」
パク社長はこれを、「『朝鮮史略』では『国土を取り返せなかったのにあなたはお帰りになることができましょうか。あなたが帰らないのに妾がどうして一人で帰れますか、と言って号泣すると、気絶してしまった。高句麗の人々はとうとう王女をその地にともに葬った』としており…」と翻訳した。
パク社長はソウル大・商学部の出身で出版業に従事してきた。1980年に出版社を設立し、20年間にわたって主に経済学の教科書を出版してきた。ところが2001年に「大学の講義で採用されなければ売れないような教科書はもう出版しない」と決心したという。
では、出版社社長の彼がなぜ申采浩の著作の翻訳を直接手がけるようになったのだろうか。パク社長は「20代から『資治通鑑』、『春秋左伝』などを独学で勉強しており、出版に長くかかわってきたせいもあり国語に通じている」とし、漢字を外国語のように勉強した人が翻訳した文章を見ていられなくなって直接翻訳するようになった」と語った。
パク社長は「娘が読んで理解できなかった部分はすべて易しく書き直した」と付け加えた。
申采浩の『朝鮮上古史』は日帝時代の1931年に、『朝鮮史』という題名で朝鮮日報の紙面に103回にもわたって連載されたものだ。パク社長は「検閲と弾圧に苦しめられた植民地時期にこうした文章が連載されたこと自体とてもすごいこと」とするとともに、「もし当時、朝鮮日報が掲載していなければこの丹斎先生の著作は存在しなかっただろう」と語った。申采浩は翌年、同じく朝鮮日報に『朝鮮上古文化史』を連載した。
「丹斎先生は真の天才です。『朝鮮上古史』は、多くの本を参照しながら書かれたものではなく、獄中で頭の中に入っている内容を一気に書き上げたものです。ところがこれまで今の人に読んでもらえる形で丹斎先生の著作が紹介されたことはなく、読んだことのある人がほとんどいないのが現実です。漢字をまったく知らない世代にとって、この本が植民史観を脱却する契機になってくれればと思います。」
パク社長は「韓国では偉人伝は子どもが読むものだと思われている」とし、「今後は、大人たちにも読まれるような韓国の偉人に関する本を出版していく計画」と語った。
文=イ・ハンス記者
写真=チュ・ワンチュン記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
他山の石としたい。
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