Re: 靖国参拝の考察<上> その2
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2006/05/25 23:32 投稿番号: [6749 / 30895]
だから私は挑発的と思われるかも知れないが、小泉首相に年に一度よりも頻繁に、たとえば毎月でも靖国を参拝することをまじめに提案したい。そうすれば首相は反対者の多くが主張するように戦争や軍国主義を礼賛するために参拝するのではなく、生や死に対する精神、信仰の適切な応じ方を真に敬虔に模索するために参拝していることを明示できる。その明示の最善の方法は信仰にもっと積極的になることであり、そのために儀式上どのような祈念の形態をとるかは首相自身の権利として選べばよいのだ。
首相は戦没者の慰霊には千鳥ケ淵の無名戦士の墓のような所に参ればよいという意見もある。しかし普通生きている人間が死者に弔意を表することには現世を超越した祈りがこめられる。信仰とは全く無縁の世俗的な場での戦没者への追悼では遺族にとっても重要な要素が欠けてしまう。国家としての追悼として不十分となる。
米国でもアーリントン墓地での葬儀や追悼にはなんらかの信仰を表す要素がともなうことが多い。往々にしてキリスト教の牧師らが祈りの儀式を催す。葬儀が教会で行われるのも同様だ。日本でも葬儀が寺や神社で催されるのは、別に参加者が一定の宗派の信者でなくても、死者に対し精神あるいは心情からの何かを捧げるからだろう。靖国参拝も現世を超えるそうしたなにかをともなう慣行だといえる。靖国に参拝するためには神道の主義者でも信者でもある必要はないのだ。この事実は靖国神社参拝が特定の宗教への関与ではない事を裏付けている。
宗派を超えた深遠な弔意表明とでもいえようか。
ケビン・ドーク教授
1982年米国クインシー大学卒業、シカゴ大学で日本研究により修士号、博士号を取得、ウェークフォレスト大学、イリノイ大学の各助教授を経て、2002年ジョージタウン大学に移り、同大学東アジア言語文化学部の教授、学部長となる。日本での留学や研究も高校時代を含め4回にわたり、京大、東大、立教、甲南大などで学ぶ。日本の近代史を基礎に日本の民主主義、ナショナリズム、市民社会、知的文化などを専門とする。著書は「日本ロマン派と近代性の危機」(日本語版題「日本浪漫派とナショナリズム」)など
産経新聞平成18年5月26日朝刊15面
後、<中>または<下>は明日以降に続くと予想される
これは メッセージ 6747 (kohshien21c さん)への返信です.
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