「文化」で世界に認められたい(1)
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/19 11:23 投稿番号: [5364 / 30895]
こういう記事がありました。
政治・経済の次は文化ですか。
ま、これは韓国に限りませんわな。古今東西、功をあげ富を築いた者は、最後に名声を欲することが多いですし。
しかし、それが、韓国の研究水準はお寒い地位だという現実と化合したとき「スーパースター黄教授」という物語が生み出されたわけですね。
名誉なんて、地道に研究をやってりゃ、あとからついてくるものなんだとおもうんですがね。ついてこなけりゃ、こっちの努力が足りないだけよ、と腹をくくってこつこつがんばってください。(←それが苦手やっちゅーねん)
・・・・・・・
ソウル大教授のES細胞論文捏造(上)
世界に認められたい欲求
木村 幹
ソウル市の中心部、嘗ては朝鮮総督府も鎮座していた景福宮からほど近いところに、韓国最大の規模を誇る書店、教保文庫がある。洋書はもちろん、数多くの和書をも取り揃えた店の入り口には、少しくたびれた肖像画が三十二個も並んでいる。順番や顔ぶれは、時に架け替えにより変わるものの、常連のアインシュタインやヘミングウェーに加えて、時には、川端康成や大江健三郎の顔もある。韓国からは、韓国ただ一人のノーベル賞受賞者である、金大中の顔が並んでいる。隣には、空白のスペースがあり、そこには韓国語で「主人を探しています」と書いてある。ノーベル賞に対する、韓国人への高い関心と期待を窺い知ることのできる一画だ。
肖像画がくたびれているのには理由がある。それは教保文庫がこのような歴代ノーベル賞受賞者の肖像画の展示をはじめたのは、今から十三年以上も遡る、一九九二年六月のことだからだ。当時は、韓国人のノーベル賞受賞は誰一人存在せず、世界各国のノーベル賞受賞者の中に、「主人」を待つ空白のスペースがぽつんと置かれていた。時代は激動の一九八〇年代を終え、韓国社会がどうにか「豊かさ」を感じられるようになったころのことである。
それまで貧困に苦しみ、「途上国的」な政治体制の下に暮らすことを余儀なくされてきた人々は、一九八七年の民主化と、並行して進んだ急速な経済発展により、自らの民族への自信を本格的に持ち始めることとなった。一九九三年には、「日本は見習うべき対象などではない」と主張する、『日本はない』(邦題「悲しい日本人」)が発売され、韓国内でベストセラーになっている。所謂「従軍慰安婦」問題をはじめとして、韓国側が歴史論争を強めるのもこの前後のことである。
しかしながら、このころから韓国の人々は、一つの不満を感じるようになる。
民主化と経済成長を遂げた韓国は、もはや嘗てのような、アジアの果てに存在する貧しくとるに足らない存在ではない。しかし、現実の韓国は、国際社会からの尊敬を受けているというには、ほど遠い状態にある。背後にあるのは、韓国が政治や経済面とは対照的に、「文化」面において、大きな成果を挙げていないことにある。韓国人のノーベル賞受賞者がいないことは、そのことの象徴的な表れである。だからこそ、この状況は改善されるべきであるし、民主化と経済成長を実現した自分たちなら改善できるはずだ。
韓国最大の大型書店の入り口に設けられた空白のスペースは、そのような韓国の不満と期待の表れに他ならなかった。
しかしながら、その後も韓国人のノーベル賞受賞者は現れることなく、何時しか各賞併せて毎年十人近くもの人々に与えられるノーベル賞の受賞は、国民的悲願となった。
二〇〇〇年、南北首脳会談を終えた金大中政権が、現職大統領の平和賞受賞のため、活発なロビー活動を行ったことはよく知られているが、それは単に金大中個人の名誉欲を満たすものだけのものではなく、国民の要望にこたえるものでもあったのである。
それでも結局、金大中の受賞も、韓国人の不満を埋め合わせるには十分ではなかった。何故なら、彼らにとって、重要だったのは、政治や経済ではなく、「文化」において世界に認められることであり、そのためには自然科学や文学の分野でのノーベル賞を受賞することが必要であると考えられていたからである。
(つづく)
政治・経済の次は文化ですか。
ま、これは韓国に限りませんわな。古今東西、功をあげ富を築いた者は、最後に名声を欲することが多いですし。
しかし、それが、韓国の研究水準はお寒い地位だという現実と化合したとき「スーパースター黄教授」という物語が生み出されたわけですね。
名誉なんて、地道に研究をやってりゃ、あとからついてくるものなんだとおもうんですがね。ついてこなけりゃ、こっちの努力が足りないだけよ、と腹をくくってこつこつがんばってください。(←それが苦手やっちゅーねん)
・・・・・・・
ソウル大教授のES細胞論文捏造(上)
世界に認められたい欲求
木村 幹
ソウル市の中心部、嘗ては朝鮮総督府も鎮座していた景福宮からほど近いところに、韓国最大の規模を誇る書店、教保文庫がある。洋書はもちろん、数多くの和書をも取り揃えた店の入り口には、少しくたびれた肖像画が三十二個も並んでいる。順番や顔ぶれは、時に架け替えにより変わるものの、常連のアインシュタインやヘミングウェーに加えて、時には、川端康成や大江健三郎の顔もある。韓国からは、韓国ただ一人のノーベル賞受賞者である、金大中の顔が並んでいる。隣には、空白のスペースがあり、そこには韓国語で「主人を探しています」と書いてある。ノーベル賞に対する、韓国人への高い関心と期待を窺い知ることのできる一画だ。
肖像画がくたびれているのには理由がある。それは教保文庫がこのような歴代ノーベル賞受賞者の肖像画の展示をはじめたのは、今から十三年以上も遡る、一九九二年六月のことだからだ。当時は、韓国人のノーベル賞受賞は誰一人存在せず、世界各国のノーベル賞受賞者の中に、「主人」を待つ空白のスペースがぽつんと置かれていた。時代は激動の一九八〇年代を終え、韓国社会がどうにか「豊かさ」を感じられるようになったころのことである。
それまで貧困に苦しみ、「途上国的」な政治体制の下に暮らすことを余儀なくされてきた人々は、一九八七年の民主化と、並行して進んだ急速な経済発展により、自らの民族への自信を本格的に持ち始めることとなった。一九九三年には、「日本は見習うべき対象などではない」と主張する、『日本はない』(邦題「悲しい日本人」)が発売され、韓国内でベストセラーになっている。所謂「従軍慰安婦」問題をはじめとして、韓国側が歴史論争を強めるのもこの前後のことである。
しかしながら、このころから韓国の人々は、一つの不満を感じるようになる。
民主化と経済成長を遂げた韓国は、もはや嘗てのような、アジアの果てに存在する貧しくとるに足らない存在ではない。しかし、現実の韓国は、国際社会からの尊敬を受けているというには、ほど遠い状態にある。背後にあるのは、韓国が政治や経済面とは対照的に、「文化」面において、大きな成果を挙げていないことにある。韓国人のノーベル賞受賞者がいないことは、そのことの象徴的な表れである。だからこそ、この状況は改善されるべきであるし、民主化と経済成長を実現した自分たちなら改善できるはずだ。
韓国最大の大型書店の入り口に設けられた空白のスペースは、そのような韓国の不満と期待の表れに他ならなかった。
しかしながら、その後も韓国人のノーベル賞受賞者は現れることなく、何時しか各賞併せて毎年十人近くもの人々に与えられるノーベル賞の受賞は、国民的悲願となった。
二〇〇〇年、南北首脳会談を終えた金大中政権が、現職大統領の平和賞受賞のため、活発なロビー活動を行ったことはよく知られているが、それは単に金大中個人の名誉欲を満たすものだけのものではなく、国民の要望にこたえるものでもあったのである。
それでも結局、金大中の受賞も、韓国人の不満を埋め合わせるには十分ではなかった。何故なら、彼らにとって、重要だったのは、政治や経済ではなく、「文化」において世界に認められることであり、そのためには自然科学や文学の分野でのノーベル賞を受賞することが必要であると考えられていたからである。
(つづく)
これは メッセージ 1 (greatjp22 さん)への返信です.
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