茶碗君の為に再掲載「長官の自白」
投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2005/11/18 12:02 投稿番号: [3525 / 30895]
>そして長官の自白
><当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した>
この”関与”は性病予防と秩序維持(慰安婦保護)、防諜に関してです。
><慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。>
この”官憲”と言うのは、当時発覚して処罰されてるでしょう。
当然、全ての犯罪者を逮捕訴追できた訳ではないが、国が官憲を使い強制連行したのとは違います。
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1939年3月5日付の「毎日新聞」(京城発行のハングル新聞)によると、逮捕されたハユンミュンは、妻とともに1932年から各地の農村をまわり、「生活難であえぐ貧しい農夫の娘達」に、いい仕事があるとだまして、約150人を満州や中国本土などに七百円から千円で売ったという。
ついでにハユンミュンから五十余人の女を買った京城の遊廓業者を警察が呼び出すと、それを察知して彼女たちを牡丹江や山東省に転売したことも判明する。
続いて起きた「第二のハユンミュン事件」では、犯人のペシャヤンオンは1935年から四年にわたり百人余の農村女性をだまして北支と満州に、百五十人余を売り飛ばしている。またこの種の国外移送にさいし、渡航許可に携った役人が戸籍を偽造するなどの汚職に手を染めていたことも判明した。
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><なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である>
日本人慰安婦は全体の 58%、 朝鮮・台湾で 30%(25:5ぐらい)
こので長官は「日本を別とすれば」と言ってるだろう。
「本人の意思に反し」言ってるが、当時は売春業を営む場合は警察の免許が必要だった。
その免許の申請には、前回投稿した”承諾書”に記名捺印が必要で、警察での本人意思確認が行われた。
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1943年2月慰安係長に着任した四十四歳の山田中尉は堀江兵站司令官から慰安所の指導方針についてこまがまと説示されているが・・・・・・・
山田著は、慰安婦の登録手続き面についても詳しい。
それによると、到着と同時に慰安係へ提出される写真、戸籍謄本、誓約書、市町村長発行の身分証明書に基つき、身上調書(前歴、父兄の住所と職業、家族構成、前借金額などを記入)を作成、その後も病歴や特徴を追加記入した。到着時に「辛い仕事だが辛抱できるか」とたずねると、あらかじめ楼主に言い含められているのか、いちように仕事の事は納得していると答えるのが通例であったようだ。
それでも例外があった。1944年秋、二人の朝鮮人に引率された三十人余の女が到着したとき、一人が「陸軍将校の集会所である皆行社に勤める約束できたので、慰安婦としらなかった」と泣き出したので、業者に就業を禁じ、適当な職業の斡旋を命じた。「おそらく、女衒に類する人間が、甘言をもって募集したものであっただろう」と長沢軍医は回想している。
慰安婦達が、どんな事情で積慶里へくる様になったのかを知るのは困難だが、幸い韓国挺身体対協による残留朝鮮人女性の身上ヒアリングがあるので、表3-9の要約を参照されたい。
これでみると、多くは貧家に生まれ育ち、身辺の知人(おそらくは業者のルートの一端)の「甘言」に乗って慰安婦となったもので、官憲の「強制連行」と思われるケースはない。
<秦郁彦氏の「戦場の性・慰安婦」著述より引用>
><当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した>
この”関与”は性病予防と秩序維持(慰安婦保護)、防諜に関してです。
><慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。>
この”官憲”と言うのは、当時発覚して処罰されてるでしょう。
当然、全ての犯罪者を逮捕訴追できた訳ではないが、国が官憲を使い強制連行したのとは違います。
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1939年3月5日付の「毎日新聞」(京城発行のハングル新聞)によると、逮捕されたハユンミュンは、妻とともに1932年から各地の農村をまわり、「生活難であえぐ貧しい農夫の娘達」に、いい仕事があるとだまして、約150人を満州や中国本土などに七百円から千円で売ったという。
ついでにハユンミュンから五十余人の女を買った京城の遊廓業者を警察が呼び出すと、それを察知して彼女たちを牡丹江や山東省に転売したことも判明する。
続いて起きた「第二のハユンミュン事件」では、犯人のペシャヤンオンは1935年から四年にわたり百人余の農村女性をだまして北支と満州に、百五十人余を売り飛ばしている。またこの種の国外移送にさいし、渡航許可に携った役人が戸籍を偽造するなどの汚職に手を染めていたことも判明した。
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><なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である>
日本人慰安婦は全体の 58%、 朝鮮・台湾で 30%(25:5ぐらい)
こので長官は「日本を別とすれば」と言ってるだろう。
「本人の意思に反し」言ってるが、当時は売春業を営む場合は警察の免許が必要だった。
その免許の申請には、前回投稿した”承諾書”に記名捺印が必要で、警察での本人意思確認が行われた。
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1943年2月慰安係長に着任した四十四歳の山田中尉は堀江兵站司令官から慰安所の指導方針についてこまがまと説示されているが・・・・・・・
山田著は、慰安婦の登録手続き面についても詳しい。
それによると、到着と同時に慰安係へ提出される写真、戸籍謄本、誓約書、市町村長発行の身分証明書に基つき、身上調書(前歴、父兄の住所と職業、家族構成、前借金額などを記入)を作成、その後も病歴や特徴を追加記入した。到着時に「辛い仕事だが辛抱できるか」とたずねると、あらかじめ楼主に言い含められているのか、いちように仕事の事は納得していると答えるのが通例であったようだ。
それでも例外があった。1944年秋、二人の朝鮮人に引率された三十人余の女が到着したとき、一人が「陸軍将校の集会所である皆行社に勤める約束できたので、慰安婦としらなかった」と泣き出したので、業者に就業を禁じ、適当な職業の斡旋を命じた。「おそらく、女衒に類する人間が、甘言をもって募集したものであっただろう」と長沢軍医は回想している。
慰安婦達が、どんな事情で積慶里へくる様になったのかを知るのは困難だが、幸い韓国挺身体対協による残留朝鮮人女性の身上ヒアリングがあるので、表3-9の要約を参照されたい。
これでみると、多くは貧家に生まれ育ち、身辺の知人(おそらくは業者のルートの一端)の「甘言」に乗って慰安婦となったもので、官憲の「強制連行」と思われるケースはない。
<秦郁彦氏の「戦場の性・慰安婦」著述より引用>
これは メッセージ 1 (greatjp22 さん)への返信です.
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