李容洙婆さんがまた自爆w
投稿者: greatjp22 投稿日時: 2012/09/15 07:47 投稿番号: [29885 / 30895]
生あるうちに解決して
日本軍「慰安婦」被害者招き集会
日本の侵略戦争で日本軍「慰安婦」として、性暴力の被害を受けた韓国の李容洙(イ・ヨンス)さん(83)が実名で被害を告発してから20年になった今年、李さんを招いての集会が12日、川崎市内で開かれました。主催は、川崎から日本軍「慰安婦」問題の解決を求める市民の会。
現在も日本政府は責任を認めていません。橋下徹大阪市長は「強制連行の事実については確たる証拠がない」などと発言(8月21日)し、地元・大阪や人権団体などから抗議の声があがっています。
李さんは「証言することは私の命と同じ」と話し、日本語で語り始めました。15歳のときに、自宅で寝ていたところを日本軍によって連行されました。帰りたいと言うと「言うことをきかなければ殺す」と脅され、軍靴や棒で顔や体に暴力を受けました。
各地を日本軍とともに転々とし、17歳で父母の元に帰るも、「また捕まるのではないかと思うと、顔を上げて歩けない。誰にも話せなかった」といいます。
李さんは言います。「日本と韓国は隣の国だもの。若い人たちが仲良く手をつないでいけるようにするのが私の仕事。私が生きているうちに解決をしないと」と、日本政府による心からの謝罪と賠償を求めました。
「李容洙」(イ・ヨンス)の嘘だらけの証言
1.1993「写真記録 やぶられた沈黙」では、1944年夏、友達が家に誘いに来てついて行くと、軍服みたいな服を着た男がおり、ワンピースと赤い靴をもらって感激してついて行く。
2.1993・10「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」では、一九四四年、私が満十六歳の秋のことです。川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。赤いワンピースと革靴の入った包みをもらって、幼心にどんなにうれしかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座についていくことにしました。
3.英文中国日報(1998・.8・23)では、1944年のある夜、韓国の故郷から日本軍により誘拐され、日本軍の性奴隷として足かけ3年間従事慰安所に送られた時はわずか数え年16歳であった。
4.元「慰安婦」へ補償を〜日本共産党との会合 (2002・6・26)では、14歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話し
5.「消せない記憶」〜京都での市民集会李容珠 (2004・12・4)では、1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。
6.京都新聞(2004・12・5)では、16歳でわけが分からないまま連行され、1944年ごろ、旧日本軍に拉致され、台湾で約3年間従軍慰安婦として
7.証言集会〜同志社大学(2005・4・21)では、女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。その時、私は韓国の年齢で16歳でした。
8.朝日新聞(2005・8・11)では、韓国の大邱から15歳ごろ連行された。
9.埼玉上田知事発言に元慰安婦が抗議(JanJan 2006・10・13)では、15歳で韓国・大邱の家から軍人に拉致され、台湾まで連れ去られ、敗戦で解放されるまでの3年間の経過を証言した。
10.中央日報「米議会で初の‘慰安婦聴聞会’韓国・オランダ人女性3人が証言」(2007・2・16)では、1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され
11.イヨンスさいたま公聴会(2007・2・23)では、15歳の時、家で寝ているとき小窓をたたく音に目を覚まし
12.JANJAN「米公聴会でも証言した李容洙さんが、埼玉で再び「証言・告発」(2007・2・26)では、15歳のとき、小銃で脅され、大連から、台湾に連行され新竹海軍慰安所で特攻隊員の慰安婦とされた。
日本軍「慰安婦」被害者招き集会
日本の侵略戦争で日本軍「慰安婦」として、性暴力の被害を受けた韓国の李容洙(イ・ヨンス)さん(83)が実名で被害を告発してから20年になった今年、李さんを招いての集会が12日、川崎市内で開かれました。主催は、川崎から日本軍「慰安婦」問題の解決を求める市民の会。
現在も日本政府は責任を認めていません。橋下徹大阪市長は「強制連行の事実については確たる証拠がない」などと発言(8月21日)し、地元・大阪や人権団体などから抗議の声があがっています。
李さんは「証言することは私の命と同じ」と話し、日本語で語り始めました。15歳のときに、自宅で寝ていたところを日本軍によって連行されました。帰りたいと言うと「言うことをきかなければ殺す」と脅され、軍靴や棒で顔や体に暴力を受けました。
各地を日本軍とともに転々とし、17歳で父母の元に帰るも、「また捕まるのではないかと思うと、顔を上げて歩けない。誰にも話せなかった」といいます。
李さんは言います。「日本と韓国は隣の国だもの。若い人たちが仲良く手をつないでいけるようにするのが私の仕事。私が生きているうちに解決をしないと」と、日本政府による心からの謝罪と賠償を求めました。
「李容洙」(イ・ヨンス)の嘘だらけの証言
1.1993「写真記録 やぶられた沈黙」では、1944年夏、友達が家に誘いに来てついて行くと、軍服みたいな服を着た男がおり、ワンピースと赤い靴をもらって感激してついて行く。
2.1993・10「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」では、一九四四年、私が満十六歳の秋のことです。川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。赤いワンピースと革靴の入った包みをもらって、幼心にどんなにうれしかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座についていくことにしました。
3.英文中国日報(1998・.8・23)では、1944年のある夜、韓国の故郷から日本軍により誘拐され、日本軍の性奴隷として足かけ3年間従事慰安所に送られた時はわずか数え年16歳であった。
4.元「慰安婦」へ補償を〜日本共産党との会合 (2002・6・26)では、14歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話し
5.「消せない記憶」〜京都での市民集会李容珠 (2004・12・4)では、1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。
6.京都新聞(2004・12・5)では、16歳でわけが分からないまま連行され、1944年ごろ、旧日本軍に拉致され、台湾で約3年間従軍慰安婦として
7.証言集会〜同志社大学(2005・4・21)では、女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。その時、私は韓国の年齢で16歳でした。
8.朝日新聞(2005・8・11)では、韓国の大邱から15歳ごろ連行された。
9.埼玉上田知事発言に元慰安婦が抗議(JanJan 2006・10・13)では、15歳で韓国・大邱の家から軍人に拉致され、台湾まで連れ去られ、敗戦で解放されるまでの3年間の経過を証言した。
10.中央日報「米議会で初の‘慰安婦聴聞会’韓国・オランダ人女性3人が証言」(2007・2・16)では、1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され
11.イヨンスさいたま公聴会(2007・2・23)では、15歳の時、家で寝ているとき小窓をたたく音に目を覚まし
12.JANJAN「米公聴会でも証言した李容洙さんが、埼玉で再び「証言・告発」(2007・2・26)では、15歳のとき、小銃で脅され、大連から、台湾に連行され新竹海軍慰安所で特攻隊員の慰安婦とされた。
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