reRe: 目的刑(横レスです)
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/10/28 02:41 投稿番号: [2777 / 30895]
>>欧米に逆らえば負けるという教訓を与え、欧米に逆らわないようにさせること
> これは「威嚇効果」(に分類される方と思いますが)の目的には機能しなかったということですね。
その通りだとおもいます。
で、もうひとつの「法確信の形成」なのですが、「社会感情の沈静化」という解釈を採るとすると・・・
>日本国内、国外(当時は主に英蘭豪辺りかなぁ・・)の「社会感情」にはある程度機能したのではないでしょうか?
この「社会感情」の沈静化は、法確信の中に入れない方がいいではないかと思っています。これは刑の「執行」が持つもっと具体的な効果ではないでしょうか。その利益を享受する人は、「犯罪の被害者・遺族」が主、ということになりますが、それを社会全体にまで広げると概念が曖昧になるとおもいます。
日本国内にこれを適用し、かつこのままの形でこの「社会感情の沈静化」を
適用しますと、例の「悪かったのは軍部であり、一般国民は被害者だった」を前提にしない限り妥当しないことになります。以下の点ともからみますが。
>東京裁判当時の日本の社会感情としても、敗戦と同時に軍閥、財閥への批判は戦前の下地もあったでしょうからさぞ激しいものだったと想像しますので、日本国内も「戦犯」が必要だった時期があったのだろうと思っています。
当時の風潮としては実際はどうだったんでしょうか。東條が法廷に運ばれる車の前で割腹自殺を試みた婦人の話などはありますが。少なくとも、「国民を戦争に巻き込んだ」国民の怒りが戦犯に対して渦巻いていた社会風潮だったとは思えないのですが。
当時、「戦犯」は国民の多くが実際に「戦犯」と思っていたのか、それとも、戦犯を差し出すことで、自分たちを「犠牲者」であるとして、安全な場所におくということだったのか。
>「人は『犯人』が必要な場合がある、それが『真犯人』であるかどうかは『問題』ではないんだ」というようなことを先生が雑談で言ってました。
(映画かTVドラマの話題で出た言葉だったと記憶しています。)
これは、ドラマでも実際の刑事裁判でも結構おこりうることですね。犯人と思っていた人物が裁判で無罪となった。遺族としては、「そんば馬鹿な・・・」という感情をもつ。が、処罰してもらいたいのは「真犯人」でしょ。「無実の罪」の人間の処罰ではないですね。それはそのとおりですが、しかし・・・ドラマでは真犯人が
後で見つかることがおおいですが。
やや最初の話に戻りますが、刑罰についての真の意味での絶対説をとなえたのはカントのみです。刑罰は罪を犯したという事実のみによって科されるべきだという主張です。その後の「応報刑説」、絶対主義、相対主義(一般予防、特別予防)、教育刑なども「応報」、「犯罪の一般的、個別的抑制」、「犯罪者の社会復帰のための教育」という目的をもっていますから。その意味で、カント以外はすべて目的刑だといいうると思います。ただし、目的刑をはじめて唱えたのは新派のリストで、新派の主張の主流は、刑罰の目的は犯人の教育(それに伴う社会防衛的機能)である、というものですから、どちらかというと、旧派、古典派の「応報刑」に対峙するものとして使われているようです。
> これは「威嚇効果」(に分類される方と思いますが)の目的には機能しなかったということですね。
その通りだとおもいます。
で、もうひとつの「法確信の形成」なのですが、「社会感情の沈静化」という解釈を採るとすると・・・
>日本国内、国外(当時は主に英蘭豪辺りかなぁ・・)の「社会感情」にはある程度機能したのではないでしょうか?
この「社会感情」の沈静化は、法確信の中に入れない方がいいではないかと思っています。これは刑の「執行」が持つもっと具体的な効果ではないでしょうか。その利益を享受する人は、「犯罪の被害者・遺族」が主、ということになりますが、それを社会全体にまで広げると概念が曖昧になるとおもいます。
日本国内にこれを適用し、かつこのままの形でこの「社会感情の沈静化」を
適用しますと、例の「悪かったのは軍部であり、一般国民は被害者だった」を前提にしない限り妥当しないことになります。以下の点ともからみますが。
>東京裁判当時の日本の社会感情としても、敗戦と同時に軍閥、財閥への批判は戦前の下地もあったでしょうからさぞ激しいものだったと想像しますので、日本国内も「戦犯」が必要だった時期があったのだろうと思っています。
当時の風潮としては実際はどうだったんでしょうか。東條が法廷に運ばれる車の前で割腹自殺を試みた婦人の話などはありますが。少なくとも、「国民を戦争に巻き込んだ」国民の怒りが戦犯に対して渦巻いていた社会風潮だったとは思えないのですが。
当時、「戦犯」は国民の多くが実際に「戦犯」と思っていたのか、それとも、戦犯を差し出すことで、自分たちを「犠牲者」であるとして、安全な場所におくということだったのか。
>「人は『犯人』が必要な場合がある、それが『真犯人』であるかどうかは『問題』ではないんだ」というようなことを先生が雑談で言ってました。
(映画かTVドラマの話題で出た言葉だったと記憶しています。)
これは、ドラマでも実際の刑事裁判でも結構おこりうることですね。犯人と思っていた人物が裁判で無罪となった。遺族としては、「そんば馬鹿な・・・」という感情をもつ。が、処罰してもらいたいのは「真犯人」でしょ。「無実の罪」の人間の処罰ではないですね。それはそのとおりですが、しかし・・・ドラマでは真犯人が
後で見つかることがおおいですが。
やや最初の話に戻りますが、刑罰についての真の意味での絶対説をとなえたのはカントのみです。刑罰は罪を犯したという事実のみによって科されるべきだという主張です。その後の「応報刑説」、絶対主義、相対主義(一般予防、特別予防)、教育刑なども「応報」、「犯罪の一般的、個別的抑制」、「犯罪者の社会復帰のための教育」という目的をもっていますから。その意味で、カント以外はすべて目的刑だといいうると思います。ただし、目的刑をはじめて唱えたのは新派のリストで、新派の主張の主流は、刑罰の目的は犯人の教育(それに伴う社会防衛的機能)である、というものですから、どちらかというと、旧派、古典派の「応報刑」に対峙するものとして使われているようです。
これは メッセージ 2773 (usagigamemaimai さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/4z9qbfma4ha1a28bdbcba4rmfd2ra4bba4ha1aa_1/2777.html