正論 1
投稿者: greatjp22 投稿日時: 2008/08/21 08:17 投稿番号: [13432 / 30895]
ですね。
【正論】筑波大学大学院教授 古田博司
2008.8.20 03:18
このニュースのトピックス:正論
■朝鮮民族の復讐のカタルシス
≪拉致と竹島支配の共通性≫
言いにくいことだが、北朝鮮による日本人拉致と韓国による竹島実効支配は、人間と領土という違いこそあれ、じつは朝鮮民族の日本に対する意識の地平においては同じものである。それは、日本の主権を侵して奪い去ってやったという彼らの「復讐(ふくしゅう)のカタルシス」に由来するものであり、過去の被植民地化という恥辱から生ずる、ストレスやコンプレックスの解消の素材であり続けていると言わねばならない。
ここに彼らがこのカタルシスを手放すことがなかなか難しい原因があると思われる。
ならば韓国相手の竹島の方は、国際司法の場で民主的に決着をつければ良いではないかと、人は言うかもしれない。しかし、国際社会というのは本来アナーキーなもので、出てこいと言われて、負けると分かっている法廷に、のこのこと出かけていく者もいなければ、召喚を命令できる明確な主体も存在しない。
人間は理性にのっとっていれば、普遍的な価値観を共有でき、国際正義に基づく解決が当事者間の紛争を未然に防ぐのだというモダンな理想は、「後近代(こうきんだい)」の現代ではもはや夢をさそう物語にもならないのではないだろうか。
≪「反日のうねり」に転化せず≫
ここのところの中学社会科の新学習指導要領の解説書における竹島問題をめぐる韓国民の反応も、日本の一部マスコミの期待にもかかわらず、1980年代のような大きな反日のうねりには転化しなかった。韓国でもようやく後近代が本格化しつつあり、誰かが普遍的な価値観をになって人々を扇動できるような時代がもう終わったということなのである。
すでに手に入れているのだから、なにを騒ぐ必要があるのかと、効率性をまず考えるのがポストモダンな生き方というものである。だから韓国政府は実効支配が完璧(かんぺき)だという政治的パフォーマンスを演じればそれで済むのだろう。
しかしこのような後近代の情況は、韓国民のモダンな物語をも確実に切り崩さずにはおかない。たとえば、韓国が日本に強要し続けた「正しい歴史の認識」がそれである。じつは現在の歴史記述に関連する教科書では、国定のもの以外に検定数種がすでに多彩に使われているのが現状となっている。
中学校の社会では9社10種類、高校の韓国近・現代史では6社6種類、世界史は3社3種類があり、19種類もの「正しい歴史の認識」がゆるい検定下で別に存在するという矛盾が生じている。
この事実に気づいているのか、教科書の中にはすでに開き直った記述も見られ、「我々の歴史を正しく見るということは重要なことだ。問題はどのようにすれば我々の歴史を正しく見られるかという事実だ」(『高等学校 世界史』教学社)と、自己の失政の歴史をも正しいものと認識したいという、意欲あふれる教科書まで登場している。
【正論】筑波大学大学院教授 古田博司
2008.8.20 03:18
このニュースのトピックス:正論
■朝鮮民族の復讐のカタルシス
≪拉致と竹島支配の共通性≫
言いにくいことだが、北朝鮮による日本人拉致と韓国による竹島実効支配は、人間と領土という違いこそあれ、じつは朝鮮民族の日本に対する意識の地平においては同じものである。それは、日本の主権を侵して奪い去ってやったという彼らの「復讐(ふくしゅう)のカタルシス」に由来するものであり、過去の被植民地化という恥辱から生ずる、ストレスやコンプレックスの解消の素材であり続けていると言わねばならない。
ここに彼らがこのカタルシスを手放すことがなかなか難しい原因があると思われる。
ならば韓国相手の竹島の方は、国際司法の場で民主的に決着をつければ良いではないかと、人は言うかもしれない。しかし、国際社会というのは本来アナーキーなもので、出てこいと言われて、負けると分かっている法廷に、のこのこと出かけていく者もいなければ、召喚を命令できる明確な主体も存在しない。
人間は理性にのっとっていれば、普遍的な価値観を共有でき、国際正義に基づく解決が当事者間の紛争を未然に防ぐのだというモダンな理想は、「後近代(こうきんだい)」の現代ではもはや夢をさそう物語にもならないのではないだろうか。
≪「反日のうねり」に転化せず≫
ここのところの中学社会科の新学習指導要領の解説書における竹島問題をめぐる韓国民の反応も、日本の一部マスコミの期待にもかかわらず、1980年代のような大きな反日のうねりには転化しなかった。韓国でもようやく後近代が本格化しつつあり、誰かが普遍的な価値観をになって人々を扇動できるような時代がもう終わったということなのである。
すでに手に入れているのだから、なにを騒ぐ必要があるのかと、効率性をまず考えるのがポストモダンな生き方というものである。だから韓国政府は実効支配が完璧(かんぺき)だという政治的パフォーマンスを演じればそれで済むのだろう。
しかしこのような後近代の情況は、韓国民のモダンな物語をも確実に切り崩さずにはおかない。たとえば、韓国が日本に強要し続けた「正しい歴史の認識」がそれである。じつは現在の歴史記述に関連する教科書では、国定のもの以外に検定数種がすでに多彩に使われているのが現状となっている。
中学校の社会では9社10種類、高校の韓国近・現代史では6社6種類、世界史は3社3種類があり、19種類もの「正しい歴史の認識」がゆるい検定下で別に存在するという矛盾が生じている。
この事実に気づいているのか、教科書の中にはすでに開き直った記述も見られ、「我々の歴史を正しく見るということは重要なことだ。問題はどのようにすれば我々の歴史を正しく見られるかという事実だ」(『高等学校 世界史』教学社)と、自己の失政の歴史をも正しいものと認識したいという、意欲あふれる教科書まで登場している。
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