死を遠ざけようとする韓国社会(上)
投稿者: greatjp22 投稿日時: 2007/09/23 14:22 投稿番号: [11282 / 30895]
【コラム】死を遠ざけようとする韓国社会(上)
まだ働き盛りの年でガンとの診断を受け、それを克服した友人を何人か知っている。最近、彼らと集まる機会があり、闘病生活に関するさまざまな話が出た。そのうち、ガンにかかってから人生観が変わったかどうかという話になった。ガンの摘出手術を受けてから7年後、ついに完治の診断が下されたというある友人は「最初は人生に対する考え方がかなり変わったが、少し時間が経つと、また元通りになってしまった」と語った。そして「生活に忙しいからかな」と付け加えた。
このように死を強く意識する経験のある人々でも、時間が経つとその時の思いが薄れるのだから、一般の人々が普段、死を意識しないのは当たり前といえば当たり前かも知れない。知人の見舞いや葬式に行けば、人生や死の意味について考えさせられることもあるが、それもその場限りで終わってしまう。逆にそうした気持ちを再確認するために毎週、教会や寺に足を運ぶ人も多いことだろう。神とまっすぐに向き合って、人間は必ずいつかは死ぬという真理を思い出そうというわけだ。
一方われわれには、死を自分たちとは関係のないもののように遠ざけようとする習性もある。葬式という厳かな場さえも、生きている者が死んだ者を悼む儀式というより、生きている者同士が交流する騒がしい空間に変わってしまうことが少なくない。最近、カトリック教会内に納骨堂を建設する計画に反対し、地域住民が枢機卿の乗った車に卵を投げつけるという事件があった。ここでもやはり、死を遠ざけようという意識が強く働いたと見ることができる。
計画に強硬に反対している住民たちは、納骨堂の建設が教育環境を悪化させ、地域の不動産価格を下落させる要因になると主張している。「地域住民の民度に問題がある」という話も聞かれるが、それが正しいとすれば、地域住民だけでなく韓国の国民全体の意識に問題があると考えるべきだろう。「納骨堂は教育に悪影響を与え、不動産価格を下落させる」という集団意識が形成されたのは、社会全体に問題があるからだ。
李志勲(イ・ジフン)記者(経済部)
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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